多彩に旅案内
2月の旅。愛知・蒲郡市。「ツルシのぶらり探訪」は千葉・旭市。三重・亀山市、亀山宿・関宿・坂下宿をめぐり
好評です毎週水曜日の「つり」
3月は東京湾走水沖のタチウオ、神奈川・早戸川のマス、京都・舞鶴湾のイカなどを予定
<2月 ツルシのぶらり探訪 千葉県旭市/不屈の女性共産党員 没後90年(記事を読む)>
2月の旅から紹介です。5日付は愛知・蒲郡(がまごおり)市です。三河湾にかかる橋を歩いて、神社の島・竹島を訪れました。
12日付の「ツルシのぶらり探訪」は千葉・旭市です。戦前に女性労働者として立ち上がった共産党員・飯島喜美の故郷を訪ねました。
19日付は三重・亀山市を歩きました。東海道の宿場町、亀山宿・関宿・坂下宿をめぐり、地元グルメ「亀山みそ焼きうどん」を楽しみました。
<1月 たび 東京・蛇窪神社/新年 白蛇づくし神社へ 七福神巡りで縁起願う(記事を読む)>
釣りが大好きな赤旗応援団による釣行記を、日刊紙の水曜付と、日曜版に月1回掲載します。日刊紙は、3月は東京湾走水沖のタチウオ、神奈川・早戸川のマス、京都・舞鶴湾のイカなどを予定しています。
日曜版では、イラスト付きエッセイ「森越ハムの全力ゆる釣り日記」(毎月第4日曜)が好評連載中です。
<2月 つり ヤリイカ 福井 高浜町音海/にぎやか夜釣り、交流も アジに好反応15杯(記事を読む)>
<1月 つり フクラギなど 石川 穴水町の鹿波沖/生きアジつけ泳がせ釣り ガンガン!!サオ揺れる(記事を読む)>
釣りたよりは「赤旗」日刊紙の地方版に掲載しています。
◎ツルシのぶらり探訪 千葉県旭市/不屈の女性共産党員 没後90年
九十九里平野の北端に位置する千葉県旭市を訪れました。戦前の日本共産党員、飯島喜美(きみ)(1911~35年)の故郷です。
JR旭駅から10分ほど歩き、仁玉(にったま)川にかかる竜慶寺橋を渡ると、郷金(ごうきん)旅館があります。ここが喜美の生家があった場所です。父は提灯(ちょうちん)職人で生活は困窮していました。
喜美は小学校を卒業して女中奉公に出た後、15歳で東京モスリン紡織・亀戸工場に入社し、女工として働き始めます。
寄宿舎生活をしながら、労働問題や科学的社会主義を学ぶ研究会に参加。女性労働者への搾取の根源や、社会は変えられることを学びます。女性労働者500人が結集した賃上げ要求ストライキでは、先頭に立ちました。
17歳で日本共産党に入党。1930年にモスクワで開催された、プロフィンテルン(国際的な労働組合組織)第5回大会では、日本の女性労働者の劣悪な状態を告発する演説を行いました。
さらに現地にとどまった喜美は1年間、クートベ(勤労者共産主義大学)で科学的社会主義理論を本格的に学びました。
帰国後、日本共産党の中央婦人部の任務に就き、『赤旗(せっき)』付録に婦人欄を設けるなど、重責を担いました。
33年、治安維持法違反で特高警察に検挙され、拷問によって体調を壊し、肺結核を発症。35年、手当てもされず栃木刑務支所で獄死しました。命日は、24歳の誕生日の翌日の12月18日でした。
今年は喜美の没後90年にあたります。2024年、旭市にある日本共産党千葉県北部地区委員会の前庭に、飯島喜美顕彰碑が建立されました。
碑には「不屈の日本共産党員 女工哀史を超えた紡績女工」「飯島喜美顕彰碑」と刻まれています。略歴が刻まれた副碑には、喜美の顔と遺品の「闘争/死」と刻まれたコンパクトも彫り込まれています。顕彰碑のそばには見学者が利用できる休憩所もあります。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(国賠同盟)千葉県本部会長の小松実さんは、「飯島喜美の生涯と足跡は、社会進歩を目指すものにとって大きな誇りであり、私たちを励ます指針です。今に生かし、後世に伝えていきたい」と話します。
大坊幸蔵(だいぼうこうぞう)寺には飯島家の墓所があり、「感謝 IIJIMA」と刻まれた墓石が立っています。
治安維持法で国民を弾圧し、侵略戦争に突き進んだ歴史を、胸に焼きつけて帰路につきました。今年は治安維持法の施行100年の節目にあたります。
ツルシカズヒコ
【交通】旭駅へは、東京駅からJR総武線・特急で約90分。日本共産党千葉県北部地区委員会までは旭駅から徒歩6分
【問い合わせ】国賠同盟千葉県本部会長・小松実TEL090(3906)1026
(2月12日付)
◎たび 東京・蛇窪神社/新年 白蛇づくし神社へ 七福神巡りで縁起願う
今年の干支(えと)は巳(み)、つまり蛇年です。蛇は脱皮することから「再生と誕生」を意味するとか、「抜け殻を財布に入れておくとお金がたまる」など、幸運の生き物ともいわれています。
巳年にちなんだ寺社は各地にありますが、東京都品川区の蛇窪(へびくぼ)神社は名称からしてそのものズバリ。鎌倉時代末に創建されたとされ、多くの参拝客を集めています。
正しくは「天祖神社」ですが、この地域がかつて蛇窪と呼ばれ、地元民の夢枕に境内の池にすんでいた白蛇が現れた―などの逸話から、今ではその名が一般的になりました。
鳥居をくぐると、岩のくぼみを狙って「運玉投げ」のできる満願岩などがあり、赤い鳥居が並ぶ奥に、神社の創建にゆかりが深い法密(ほうみつ)稲荷社も鎮座しています。どことなくめでたさを感じる境内です。
拝殿に参拝してから右手へ回ると、蛇にちなんだ社殿や箱庭などがあります。まず「撫(な)で白蛇」の夫婦像に開運を祈願。白蛇は特に縁起がいい生き物とされています。
撫で白蛇像の後方にある蛇窪龍神社は、雨乞いの断食祈願が成就したことに感謝して建立されたものです。「巳が龍(身が立つ)」として立身出世を願います。
最奥には白蛇辨財(べんざい)天が鎮座。「白蛇清水」で清めたお金を供える台座があり、財運隆昌が祈願できるとして人気です。
暦の巳の日には実際の白蛇が展示されています。純白というより、やや金色がかったその姿は、金運に結びつくのでしょうか。
蛇窪神社の辨財天は、品川区西部を徒歩で回ることができる「荏原(えばら)七福神めぐり」の一つになっています。蛇窪神社のほかには、大井蔵王権現神社の福禄寿・東光寺の毘沙門天・養玉院の布袋・法蓮寺のえびす・摩耶寺の寿老人・小山八幡宮の大国天を回るものです。
これらの寺社には、七福神のほかにもご利益が。東光寺には、不浄除けの神で「トイレの神様」とも呼ばれる烏瑟沙摩(うすさま)大明王が祭られ、便器の形をした焼香炉をまたいでお参りすれば、下の病にならないといわれます。
緑が多く、都会のオアシスのような養玉院では五智如来という、像高3メートルもの5体の如来像が安置され、圧倒される神々しさです。高台にある小山八幡宮は展望良好。かつては江戸の町が見下ろせたそうです。
七福神めぐりの色紙(2000円または2500円)は、どの寺社でも入手できます。新年の七福神の御開帳期間は終わっていますが、他の期間でもお参りと朱印の押印はできます。今年一年の幸を願い、白蛇様にも七福神にもお参りしましょう。
土井正和
【交通】蛇窪神社へは、都営地下鉄浅草線中延(なかのぶ)駅から徒歩5分
【問い合わせ】蛇窪神社 電話03(3782)1711
(1月8日付)
◎つり ヤリイカ 福井 高浜町音海/にぎやか夜釣り、交流も アジに好反応15杯
年が明け、ヤリイカのシーズンになりました。毎年通っている福井県高浜町音海(おとみ)の「音海学校裏」の波止で、今シーズン初めて釣行したのは1月下旬。二十数センチの小型が6杯の貧果でした。
少し待って2回目の釣行は2月中旬。同じ波止へ。週末で天気も良く、正午に到着すると、すでに車は十数台。お気に入りの波止の先端では先客がエギを投げています。聞くと「釣果が無い」とのことで、釣り座を空けてくれました。
サオは3本セット。1本は鶏のササミの2連スッテ。もう1本は上段がササミで、下段には、死んだ豆アジをスッテにくくりつけます。さらにもう1本は、死んだアジのヤエン仕掛けです。
月が顔を出した頃、あちこちで釣れ出しました。でも単発的で、次のアタリまで30分から1時間待ち。満月の月明かりのもと、私のウキにも反応がありました。前回と違い32センチの良型をゲット。アジを付けたスッテにイカが乗っていました。
次はヤエン仕掛けに反応。波止のすぐ近くでアジを抱いています。慎重にヤエンを投入しゲット。これも30センチ超の良型。この日はなぜかアジに反応するようです。秋に釣った冷凍アジを10尾持ってきたので、かじられても使い続けます。それでもイカは反応しました。
午後10時すぎ、隣の釣り人から「コーヒー飲みますか?」と。体が温まりました。その釣り人は、滋賀県の余呉湖で釣ったという小さなワカサギを時々マキエにします。すると、なぜか近くでイカが見え、ウキに反応。ヤエンにもアタリ。そんなこんなで日付が替わる頃にツ抜けしました。
周辺の釣り人は10杯程度の釣果です。寒さはあまり感じないので仮眠せず釣り続けると、ヤエン仕掛けのアジに手応え。慎重にヤエンを投入すると、なんと30センチ近い大きな、おなかぽんぽんのメバルです。タモ網でゲット。エサがアジなら、いろんな魚が食いつきます。うれしい外道です。
深夜にもかかわらず車は17台。波止内外でウキは30個近くもあり、その間にもエギが投げ込まれます。にぎやかな釣り場で午前5時まで釣り続けました。釣果は30センチ前後のヤリイカを15杯と30センチの雌メバルでした。
帰宅し、その日のうち妻がイカは刺し身に。メバルは刺し身と煮付けにしてくれ、おいしくいただきました。妻は「次の釣行には同行する」と意気込んでいます。(京都・一原康男)
(2月26日付)
◎つり フクラギなど 石川 穴水町の鹿波沖/生きアジつけ泳がせ釣り ガンガン!!サオ揺れる
昨年11月8日午前5時15分、友の船に乗って4人で穴水町の穴水港を出港しました。昨年1月に起きた能登半島地震で、係留地の岸壁は所々崩れたままで、付近では崖崩れの修復工事をしています。出港したものの、船に貝がついてスピードが出ないため、近くの鹿波(かなみ)沖で釣ることにしました。
冷え込みが厳しく、冬の風物詩・気嵐(けあらし)が立ち、幻想的で静かな海を航行して10分でポイントに到着。1投目から、すぐアタリがあり、15~16センチのアジが4尾釣れ、泳がせ釣りのエサにするためいけすに入れました。
サオは2本出しました。1本は泳がせ釣りで大物を狙います。前回、船頭が大型ヒラメを釣ったので、それを見習い、泳がせ釣りに初挑戦です。市販のヒラメ仕掛けに生きアジを付け、置きザオにします。もう1本はアジザオです。アジの群れが来たようで、みんなのサオを揺らしました。
船頭のサオが大きくしなり、50センチ超のヒラマサが釣れました。私もサオにズシーンと重みを感じました。ゆっくり巻き上げると、タモ入れ寸前で大きなアオリイカを逃してしまいました。イカ用のエギではないので外れやすいのです。
気を取り直し、元気なアジをつけて投入。置きザオがガンガンガーン!と揺れます。船頭がタモを用意し釣れたのは30センチ超のキジハタでした。
8時すぎ、アジのアタリが無くなったのでポイントを移動。残っている死んだアジの鼻にハリを刺し、背中には孫バリを刺して下ろします。
ぽつりぽつりと来るアジを釣っていると、置きザオが大きく揺れます。釣り上げたのは40センチ超のフクラギ(ブリの幼魚)です。元気に泳ぎ回るので私のサビキ仕掛けとオマツリしてしまい、外すのに苦労しました。
アジを諦め、メバルのサビキ仕掛けを投入。少ししてサオ先がガンガン揺れます。キジハタが3尾一荷で釣れました。
10時半終了。ヒラメは釣れませんでしたが、フクラギ1尾、キジハタ4尾、アジ21~28センチ17尾、16~20センチ17尾、タイ21センチ1尾でした。親戚や友人、近所に配り喜ばれました。刺し身や焼き魚、南蛮漬け、あら汁にしておいしくいただきました。
今年も元気に青い海で釣りを楽しみたいと思います。高齢(84歳)ですが、泳がせ釣りがうまくいったので、大物を釣るぞ!!(石川・青海楽釣)
(1月15日付)