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2022年2月8日(火)

きょうの潮流

 そろえた両足に腕をつけ、体をくの字に曲げる。空中の格好を子どもたちがまねしました。1972年2月6日、札幌五輪で表彰台を独占した日本ジャンプ陣の活躍にわきました▼くしくも50年後の同じ日、北京五輪で小林陵侑(りょうゆう)選手が頂点に立ちました。ジャンプの五輪金メダルは98年の長野大会以来。当時活躍した原田雅彦さんは「新しい歴史の始まり」と喜びをあらわにしました▼北欧から世界にひろがった競技。日本でも大正期から大会が開催され、全日本選手権は100回を数えます。冬季五輪には第2回大会から参加。雪国の選手たちが頭角を現してきますが、その熱も戦争によって冷めてしまいます▼戦後しばらくはふるわず、札幌五輪後も一時低迷がつづきましたが、90年代以降はトップレベルの技と力をつないできました。小林選手を見いだし指導してきたのも、8大会連続で五輪出場を果たし、世界からレジェンドと尊敬される葛西紀明選手です▼ほかの選手も手本にするほど美しく安定した姿勢、鋭い踏み切り。小林選手のそれは受け継いだ技術に努力で肉付けしたもの。スキーが盛んな岩手・八幡平に生まれ、クロスカントリーの選手だった父親やきょうだいの影響もあり、幼い頃からジャンプに親しんできました▼大舞台に臆せず、「ぼくが魔物だったかもしれない」と平然と口にする25歳。ユーチューバーでもあるZ世代は海外の強豪から「新日本人」と呼ばれているとか。そのなかには先達の足跡が脈々と流れています。