2021年9月18日(土)
きょうの潮流
1931年、中国東北部にある奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で関東軍が鉄道爆破をでっち上げ、それを口実に起こした「満州事変」。事変という名の戦争の開始から、きょうで90年です▼第二師団から日本兵の最初の戦死者が出たのが分かり、本紙の地方版で取り上げたことがあります。その中で日本共産党が広く国民に訴えるため発行した「第二無産者新聞」(同年11月28日)の「仙台通信員」名の記事を紹介しました▼通信員は「支局としては大仕事だった」としながら、侵略戦争に駆り出され戦死した19人を調査、貧農や日雇い労働者ら遺族に目を向けました。「軍事救護を受けている者三名、なお今後受けなければ生きて行けぬ者七名もある」▼地方版に載せた戦死者名を見た女性が「私の叔父の名前が…」と知らせてくれました。その名は佐藤隼人。21歳。仙台市電気部の職員でした。通信記事は「貧農にして本人なくば生活至難なり」と家族の生活を気遣っています。兄のように慕っていたおいは「国民が目隠しされたなかですごい」と話しました▼宮城県北部の郷里には、日露戦争以来の戦死者といわれた大きな墓が、小高い丘にありました。無念さをつづった遺書、茶色く変色した血の襟布(えりふ)が忘れられません▼軍都仙台では事変勃発直後、日本労働組合全国協議会、共産青年同盟の名で反戦ビラが弾圧に抗し電柱に貼られ、まかれました。「一人の兵隊も送るな」と命を守る党と共青のたたかいは、十五年戦争の最初からありました。