2021年8月15日(日)
きょうの潮流
今年は宮本百合子の没後70年。彼女の文学に改めて光があてられています。敗戦時の日本の現実を実感を込めて描いた「播州平野」にこんなくだりがあります▼終戦後ラジオから流れる国の告諭。聴いているどの顔にもにじんでいるのは「一種の深いあてどなさと疑惑であった」と。「勝つ勝つとひっぱって来た縄を、ぷっつり切って、別な紐(ひも)をつき出してさあこんどはこれを握れと云(い)われても、人々はどういう心持がするだろう」▼国民を破滅へと向かわせた無謀。「おさきまっくらのまま、目前の一寸きざみで釣ってひっぱってゆく。この日本流のやりかたで、各自の運命のどたんばまでひきずられて来たのであった」とも▼実際日本の戦争の無責任さは異様でした。方針は天皇と軍首脳部がすべてを決める。絶対的な権限は天皇でしたが作戦を立てるのは軍首脳部。しかし実際は作戦参謀が勝手に決め、陸軍と海軍は反目しあう。結局、戦争の全局を指導した人物は誰もいませんでした▼いままた、戦後最悪の感染症拡大のなかで国の無責任と無能があらわに。戦前回帰を志向した安倍政権を引き継いだ菅政権は国民の命と生活をいっそう危機にさらしたまま突っ走っています▼きょう76回目の終戦記念日。「日本じゅうが、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁(ページ)を音なくめくったのであった」。「播州平野」の感動の一節です。いま声をあげ国民に責任を負う政治をつくる。それこそが新たな頁を開くことになるのではないか。