2020年5月15日(金)
新型コロナが問う日本と世界
弱者を切り捨てる思考
早稲田大教授 守中高明さん
新型コロナウイルス感染の拡大がつきつける日本社会の問題を、フランス思想、仏教思想を専門とする守中高明早大教授に聞きました。(若林明)
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新型コロナウイルス感染症が爆発的拡大のプロセスにある今、この国の現政権に特有の危険な思考があらためて露呈したと感じています。
新たな優生思想
最も憂慮すべきは、いくつかの欧米諸国と同様に日本では、新自由主義の経済政策のもとで、医療破壊がすすみ、ぎりぎりに縮小された体制の中で、この危機が、新たな“優生思想”を是認しつつ進行していることです。このウイルス感染症は罹患(りかん)しても約80%は無症状ないし軽症で済み、重症化するのが約16%、重篤化が約4%(致死率は3%前後、ただし国別統計により大きな幅)であることが中国における症例などからわかっていました。特に若年層では無症状がほとんどで、他方、高齢者や基礎疾患を有する人が重症化・重篤化しやすいことがこの病気の特性ですが、この特性が健常者と非健常者のあいだに構造的差別を生みました。
社会的弱者が死ぬことを「いたしかたない」とする思考が意識的・無意識的に形成されてしまったのではないか。この傾向は、今後、社会が集団免疫を獲得する過程でさらに強まり、弱者が「淘汰(とうた)」されることを前提とする「社会的ダーウィニズム」が容認されることが懸念されます。その背後には、高齢化社会における医療予算の将来的削減という、非人道的な計算すら透けて見えます。
経済・福祉でも
さらに問題なのは、この傾向が、公衆衛生面だけでなく、経済・福祉の分野でも広がりつつあることです。現に、社会活動を制限せざるを得ない状況下で、最も大きなダメージを受けているのは非正規労働者やフリーランスの人々であり、ひとり親家庭とその子どもたちです。自粛を要請しながら補償をしない現政権は、「適者生存」とでも言うかのようにこれらの弱い人々を切り捨てています。21世紀の現代、この種の暴力的思考がまん延することは断じて許してはなりません。
市民の社会的連帯重要
そもそも、現在の深刻な危機は、東京オリンピックの開催にこだわった現政権の失策による人災であり、「祝賀資本主義」(ジュールズ・ボイコフ)による悲劇だと総括することができます。
東京都の小池百合子知事が緊急記者会見を開き、「感染爆発の重大局面」であると宣言したのは3月25日でしたが、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長と安倍晋三首相の電話会議により延期が正式に決定されたのはその前日の24日でした。このときまで政権は、先行する韓国・台湾・ドイツなどの奏功した政策、他方、イタリア・スペイン・フランス・イギリスなどの悲惨な現実から学ぶことをせず、医療体制を整える時間があったにもかかわらず、オリンピック開催という非現実的な幻想を優先させました。
その結果、なにが起きたか。PCR検査を極端に絞ったため真の実態がつかめないまま、コロナウイルスはすでに市中感染を広げ、医療崩壊が始まり、十分な治療を受けられずに亡くなる犠牲者が続出しています。
もともと、東京オリンピック計画は、福島原発事故後の「状況はコントロールされている」という安倍首相の真っ赤なうそから始まりました。開催のために巨額の予算が大手ゼネコンなどの利権集団へと投入される一方、政府は福島県の諸地域で避難指示を解除し、自主避難者への支援を打ち切りました。「復興五輪」という美名のもとに福島第1原発の過酷事故が収束したかに見せかけ、真実を隠ぺいしつつ商業主義を推し進める―これは現代資本主義の最悪の病理ではないでしょうか。
国会では、検察庁法改悪、種苗法改悪がろくに審議されることなく強行されようとしています。危機のさなかに危機後の消費喚起を打算する「GoToキャンペーン」などは正気の沙汰とは思えません。
ウイルスの変異がもたらす危機であるからには、本来、その影響は万人に等しくおよぶはずですが、政府の無策のせいで、救われる者と救われない者のあいだに分断が起きつつあります。私たちがなすべきは、現政権によるこの残酷な棄民政策にはっきりと批判の声を突きつけること、そして緊急医療体制の再構築、休業・廃業・倒産に苦しむ中小企業や小規模事業者への速やかな経済補償、家計の急変による困窮学生への給付金などを強く要求していくことです。
そのためには、私たち市民のあいだの社会的連帯がきわめて重要です。この非常事態に真正面から向き合いつつ、資本主義経済の暴力的構造の外に自律的な草の根のネットワークを最大に広げることで、誰ひとり取り残さず、すべての人々を救うために別の政治を実現すること。それが喫緊の課題です。