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2020年5月8日(金)

新型コロナが問う日本と世界

生きた人間社会考えず

東京外国語大学名誉教授 西谷修さん

 新型コロナウイルス感染症の拡大は、歴代政権が進めてきた新自由主義=市場原理主義的政策がもたらした日本社会のひずみと課題を浮き彫りにするものとなっています。コロナ禍で表面化する新自由主義の問題について東京外国語大学の西谷修名誉教授に聞きました。(中野侃)


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(写真)にしたに・おさむ 1950年生まれ。東京外国語大学名誉教授。フランス思想、比較文明学。著書に『戦争論』『世界史の臨界』『アメリカ異形の制度空間』ほか。

 今回の新型コロナウイルス感染拡大をめぐっては、日本の新自由主義的な政策が、予期されたこの危機に全く対応できないということを露(あら)わにしました。

金融市場に没頭

 感染拡大を抑えるためには、経済活動を支えている人と人との繋(つな)がり・接触を遮断しないといけません。そうすると、もちろん経済成長は打撃を受けます。でも、一番打撃を受けるのは、数値化された経済システムの中に労働力として組み込まれて生活する人たちです。

 感染拡大を防ぐ処置として社会の血流を止める必要があるならば、それでも、しばし人々が生きていける対策もしなければなりません。この時に行政というものの役割が改めて浮かびあがります。経済活動を止めた時に、そこに組み込まれている人たちが一緒に締め出されることのないよう救いあげるのが行政の役割です。

 しかし、政府は経済を維持することしか頭にありません。まずは株価が落ちないように金融市場に金をつぎ込む。緊急経済対策も大部分が企業向けです。この社会が、生きた人間によって支えられているということが全く考えられていません。

壊された「雇用」

 医療体制で問題が浮き彫りになっています。政府はこの間、「地域医療構想」に沿った医療体制の効率化を推し進めてきました。約440の公立・公的病院の再編統合や13万床の病床削減をしようとしています。これがまさに新自由主義による社会統治の路線です。

 その結果、病院体制はどうなっているかというと、集中治療室(ICU)は不足し、資材も、医師、看護師の数も足りません。現場は大変です。常に利潤を最大化する経営発想で最適化されたシステムは、無駄は省けと言われていて、緊急時にはまったく対応できません。公的セクターも経営原理という政策がここにきて危機的状況を招いています。

 日本社会はこれまで、無駄を省いた効率的な社会を目指してきました。そういう名目で壊されてきたのが「雇用」です。

 近代以降の産業社会では雇用が社会の入り口になっています。ここで排除されると、人は社会的な存在意義さえ認められません。

法人優遇改め人間第一に

 日本の場合、かつては歴史的な役割を果たしてきた「雇用の安定性」がありました。一方で、その安定性は企業にとっては大変な負担になります。そこで、企業の負担を減らすための政策として進められたのが「雇用の自由化」です。その結果、非正規労働が増え、経営者は「自由」に解雇して人件費を削れるようになりました。人にではなく、法人(企業)にとって都合のよい仕組みです。

連帯意識を解体

 法人は「ジュリディカル・パーソン」といって法的には人間のように扱われますが、息もしない、腹も減らない、血も涙もありません。しかし経済の自由化の下では、その架空の人格である法人を機能させるために、生きている人間を絞り切り捨てるようなことが行われてきました。これが新自由主義です。

 新自由主義は経済思想というよりも国家統治の思想です。イギリスのサッチャー元首相が「社会などというものはない。あるのは家族と国家だけだ」と言ったのが典型的です。人々が結びつき連帯を伴う社会というものが、福祉に対する“依存”を生み出し、経済成長を停滞させているという認識で、富む者の自由と貧者の自己責任を説きました。こうした考えの下で、社会を個人に分断し、連携意識とか共同性に支えられている関係をすべて解体して、社会を市場に溶解させました。

 イギリスから始まったその路線が、今ではグローバル世界の原理になっています。こうした中で築かれた私的利潤と全体効率を第一とする新自由主義の問題が表面化したのが今回のコロナ禍だと思います。

権力私物化狙う

 もう一つ問題となるのは、緊急事態宣言に便乗して、自民党が憲法を改定し、「緊急事態条項」を創設する意向を示していることです。

 憲法の中に緊急事態条項を組み込むというのは、立憲体制の中で権力の例外状況を合法化するということです。これは権力の私物化を合法化したい政治権力の問題です。感染拡大に対する緊急事態は実はそれとは違います。人々の健康や命の危機に対して、平常時とは違う対応を緊急かつ効果的に行うためのものです。つまり、権力の緊急事態ではなく、社会統治の緊急事態だということです。

 コロナ禍はよく戦争に例えられますが、むしろ災害と考えるべきです。戦争なら、国民あるいは国が向き合わねばならない敵がいます。戦時が緊急事態だというのは、この敵とたたかうために国家が権力を集中させ国民を統制するためのものです。

 一方で、災害にはたたかうべき敵はいません。災害時においてはむしろ、国家が国民をどのようにして守れるか、対策の中身が課題になります。国民と社会を保護し救うための緊急事態だということを政府が認識する必要があります。


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