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2020年1月17日(金)

主張

「阪神・淡路」25年

人間中心の復興を求め続けて

 鉄道や高速道路の橋脚は倒れ、ビルは倒壊、広い範囲で住宅がつぶれ、炎が街を焼失させた阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日から、25年になります。大震災後の被災者を中心とした粘り強い運動は、被災者への公的支援実現の道を切り開いてきました。しかしその不十分さは、その後も相次いでいる自然災害の被害で浮き彫りになっています。阪神・淡路大震災から四半世紀を機に、被災者生活再建支援法の抜本改正をはじめ、被災者への支援と人間中心の復興を求める世論と運動を強めようではありませんか。

地震で助かった命が

 兵庫県淡路島北部を震源地とするマグニチュード7・3の地震で、6434人もの人命が奪われ、64万棟近い住宅が損壊した阪神・淡路大震災は、2011年3月11日に東日本大震災が発生するまで戦後最大の地震災害でした。発災直後に現地に駆けつけた記者にとっても、被害の大きさとライフラインが途絶えた町の過酷さ・厳しい寒さに、愕然(がくぜん)としたことがまざまざと思い起こされます。

 本来、地震などの被害は、事前の備えや発生後の対応で最小限に抑えることができるはずのものです。ところが当時の国などの対策は、被害の甚大さに比べ極めて不十分でした。地震直後の体育館などでの避難所暮らしや町はずれの仮設住宅での不便な暮らしへの援助も脆弱(ぜいじゃく)で、地震や火災で自宅が損壊した被災者の生活再建への支援も、融資とわずかな利子補給しかありませんでした。兵庫県や神戸市の一方的な「創造的復興」の名での再開発や、区画整理による住民の追い出し、その後の「復興公営住宅」でのコミュニティーづくりの困難な生活など、被災者は地震のあとも痛めつけられてきました。

 避難の中での体調悪化による「震災関連死」は900人を超えます。だれにもみとられず仮設住宅などで亡くなった「孤独死」も1400人余に上ります。地震で助かった命が地震後に失われたのは、文字通り“人災”です。

 被災者の個人財産は補償しないという国などの態度とたたかい、被災者の人間らしい暮らしを求める市民と野党の粘り強い運動で、災害援護資金の少額償還や返済免除の拡大、住宅の再建を支援する被災者生活再建支援法の制定(1998年)などが実現しました。

 しかし再建支援法は阪神・淡路大震災の被災者にはさかのぼって適用されず、四半世紀たっても災害援護資金や災害復旧融資の返済問題、自治体が借り上げて被災者に提供してきた「復興公営住宅」からの退去問題などが被災者を苦しめています。「復興住宅」に暮らす被災者を、自治体が“期限が来たから”と一方的に追い出す裁判を続けていることは問題です。

公的支援の抜本拡充を

 被災者の命と人権を守る立場に立った災害救助法の全面的な活用や再建支援法による住宅再建への援助額を引き上げることなど公的支援の拡充は、喫緊の課題です。日本世論調査会が行った調査では、再建支援法で支払われる支援金は「不十分だ」が6割以上です(「東京」4日付など)。

 こうした声に応えるためにも、被災者支援と災害に強い地域・社会づくりを「命と暮らしと人権を守る」立場で実現させましょう。


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