2019年11月25日(月)
ローマ教皇「核兵器廃絶」訴え
被爆者 思い共鳴
「禁止条約に言及、意味深い」
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74年前の8月9日に原爆が投下された長崎市。24日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が同市にある爆心地公園を訪れて、核兵器のない世界へメッセージを発信しました。どしゃ降りのなか、被爆者や自治体関係者、子どもたち、カトリック信者ら1000人が参加し、じっと耳を傾けました。被爆者はメッセージをどう受け止めたのでしょうか。
亡くなった被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん、山口仙二さん、渡辺千恵子さん、片岡ツヨさんの写真を手に参列したのは、長崎原爆被災者協議会の横山照子副会長(78)です。
「多くの亡くなった被爆者と教皇の言葉を聞こうと思ってきました。ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャと国連で訴えた仙二さんたちの思いが伝わり、この爆心地公園で、教皇は核兵器廃絶を訴えてくださったのだと思います。対話で世の中をすすめていこうと普通の人が思うことを普通に言ってくれました」
長崎平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(79)は、教皇のメッセージについて、「政治家に対して、核兵器を含め戦争をやめるべきだという強いメッセージを発信したと受け止めた」と語りました。
「ヨハネ・パウロ2世のときと違い、核兵器禁止条約ができたなか、最後の被爆地・長崎で核兵器禁止条約にふれながら、核兵器廃絶を訴えたことは、意味深い」と話します。長崎・広島をもつ世界で唯一の戦争被爆国でありながら、「核の傘」から抜け出せない日本政府を批判。「この教皇の思いを受け止めてほしい。教皇は安倍首相と会う予定になっているので、働きかけてほしい」
日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳(てるみ)代表委員は、13歳のときに中川町で被爆しました。8月12日に爆心地公園付近に住む叔母を探しに来て、叔母の死を確認したことを語りました。
38年前にヨハネ・パウロ教皇が来られた時に比べ、地球市民は不安と不信が広がっている、と指摘。「一方で核兵器禁止条約も持っています。その流れは変えられません。教皇のメッセージは、核保有国に核兵器廃絶を求めるものとして発信された」と語りました。
この日、教皇は長崎市の西坂公園で、豊臣秀吉のキリシタン弾圧で殉教した「日本二十六聖人」に祈りをささげ、「すべての人に信教の自由が保障されるよう声を上げよう」と呼びかけました。長崎県営野球場では、約3万人の信徒らが参加する大規模なミサを執りおこないました。
教皇はその後、広島市に移動し、平和記念公園で開かれる「平和のための集い」に参加。平和へのメッセージを発表しました。