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2018年12月20日(木)

米「密約必要」 沖縄への有事核持ち込み

外務省高官 容認の姿勢

外交文書公開

写真

(写真)沖縄で核ミサイル・メースBを整備する米兵=1962年4月(米国立公文書館所蔵)

 1969年の沖縄返還交渉を担っていた外務省高官の中で、返還後も「有事」の核兵器持ち込みを容認する考えが広がっていたことが、外務省が19日に公開した外交文書で明らかになりました。

 「緊急時」に核持ち込みを可能にするため、沖縄に核貯蔵庫を維持するとの密約は69年11月、佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされました。密約文書は佐藤氏の私邸で保管され、外務省は密約を関知していないとしていますが、実際は“共犯”関係だった可能性が濃厚です。

 沖縄返還交渉にあたり大きな課題になったのは、ベトナム戦争や台湾有事への自由出撃と、日本政府が標ぼうしていた「核抜き・本土並み」の実現でした。当時、沖縄には最大で約1300発の核兵器が配備されており、米軍は「核抑止」論を掲げて核撤去をかたくなに拒んでいました。

 こうした中、下田武三駐米大使が愛知揆一外相にあてた69年9月8日付極秘公電で、スナイダー駐日公使から、「作戦行動のための基地使用につき米側として満足し得る条件が得られればEMERGENCY(有事)の場合の問題はある」と説明されたことを明記。核兵器の「有事」再持ち込みを条件として、核兵器を撤去するとの米側の考えを伝えています。

 さらに東郷文彦アメリカ局長が作成した極秘メモ「外務大臣訪米報告」(69年9月15日付)では、核問題は最終的に首脳間で決着するとの見通しを示した上で、「いわゆる返還後の有事持込の扱方について我方としても考えて置く必要があると認められる」と述べ、有事核持ち込みの取り決めを進言しています。

 下田大使が外相にあてた別の極秘公電(69年9月22日付)によれば、フィン日本部長が「核については秘密協定を必要とする」と明言し、「日本側としてコミュニケに書くわけにゆかぬのでこれがうら付の別途の合意を必要とすることになろう」と解説しています。

 米側はすでに沖縄への「有事」核再持ち込みを可能にするための密約締結の方針を固めており、外務省内にも容認論が広がっていたことがうかがえます。(肩書はいずれも当時)


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