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2018年8月8日(水)

時をへても苦しめる原爆

私や2世・3世が運動支える番

日本被団協代表委員 田中 重光 さん(77)

 「核兵器は、人間らしく生きることも、死ぬことも許さない。放射線は遺伝子に作用し、時間がたっても私たちを苦しめ続けます」。長崎で4歳10カ月の時に被爆した田中重光さん(77)が自身の体験を語りました。原爆投下から73年、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員となり、核兵器廃絶への決意を新たにしています。(加來恵子)


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(写真)田中重光 さん

人間らしく生きることも

死ぬことも許されなかった

 1945年、田中さんは、陸軍に召集された父親の実家がある西彼杵(にしそのぎ)郡時津村(爆心地から約6キロメートル)に母や、兄弟3人と疎開していました。

 8月9日、祖父と2歳の弟と庭先の柿の木の下で遊んでいると、B29爆撃機の爆音が聞こえてきたので、空を見上げて飛行機を探していると「ピカッー」と、ものすごい光線が走りました。

 「山の向こうに爆弾が落ちた」と叫びながら家の方に走りました。まもなくものすごい爆風が押し寄せ、家中のガラスが砕け散り、ふすまや障子が吹き飛ばされました。

 家の裏山に身を隠し、長崎市の方を見ると、みるみるうちに巨大な黒い「きのこ雲」が立ちのぼり、家の上空まで覆い尽くしました。

 多くの被爆者が避難してきました。時津村にある病院だけでは収容できず、寺院や空き家、時津国民学校にも収容されました。

 記録では、時津村に収容された1780人前後のうち、三百八十数人が亡くなりました。

 原爆投下から3日後に、母親は爆心地近くにある竹ノ久保に住む友人を捜しに行って被爆し、下痢が止まらなくなりました。

 父親は、長崎市内で救援活動をした後、8月の終わりに帰ってきました。「だるい。だるい」とこぼし、自分の体が思うように動かないので、母親に暴力をふるうようになり、母親は家出を繰り返しました。

 「原爆にさえあってなければ、病気もせず、家族が仲良く暮らせていけたのに」と田中さん。

 救護、入市被爆した家族は、原爆が投下された年に同居していた祖父、4年後に祖母、12年後の57年に父親が肝臓がんで亡くなりました。母親は60歳を過ぎたころから入退院を繰り返し、99年にくも膜下出血で亡くなりました。

生まれた孫は

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(写真)「ヒバクシャ国際署名」を呼びかけ、対話をする田中さん=7月26日、長崎市(撮影 長崎県・前川美穂)

 田中さんは29歳で結婚。相手は長崎の被爆2世でした。男女2人の子に恵まれ、健康に育ちましたが、娘の子どもは、肺が20%しか育たないまま生まれてきました。

 すぐに手術をしましたが、術後3日目に医師から「この赤ちゃんは自分で生きていくことは難しい」と言われました。重光さんは、娘に「泣くだけ泣け」と声をかけるだけで精いっぱいでした。

 妻は、娘を出産したあと、膠原(こうげん)病を発症し、手の指が白くなりました。進行し、腎臓が悪くなり、2009年から透析を始め、その後心臓の弁膜も悪くなり、手術もしましたが、16年の暮れに亡くなりました。

 「原爆の放射線は遺伝子に作用して時間がたっても私たちを苦しめています。この苦しみは私たちで最後にしなければなりません」

世論をさらに

 田中さんは、高校を卒業後、国鉄の長崎機関区で働き、青年運動や平和運動にかかわり、世界大会にも参加してきました。

 「3号被爆」(救護等に参加し、残留放射線により被爆)の田中さんは、1979年に運動機能障害を発症し被爆者手帳を取得。長崎原爆被災者協議会に加盟しました。

 85年には日本原水協の「核保有国に被爆者を派遣しよう」という大キャンペーンに応えて、イギリスで証言しました。イギリスに行くまでに、長崎の地元「矢の平地区」に被災協の支部をつくろうと全戸にビラを配り、被爆者を掘り起こし、支部を結成しました。

 今年、日本被団協の代表委員となり、「私たちのような被爆の記憶がない被爆者や被爆2世、3世が被爆者運動を支えていく番です」と決意。「高齢の被爆者を“一人にしない”取り組みが必要だ」とも話します。

 「私たち被爆者の訴えが受け止められ、核兵器禁止条約ができたことは画期的です。一方で、核兵器への批判が高まるなかで、米ロは、核兵器使用のハードルを低くするために、核兵器の小型化などの開発を推進しています。日本政府は核兵器禁止条約に署名も批准もしないと言っていますが、唯一の戦争被爆国として、署名・批准し、核保有国と“核の傘”の同盟国を説得して、核廃絶のリーダーになるべきです。核兵器廃絶の世界的世論をさらに大きくするために、ヒバクシャ国際署名を多くの人に広げていきたい」


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