2018年5月24日(木)
イラク日報報告書の公表
疑問置き去り、隠ぺい否定結論ありき
「担当者がイラクの日報を国会(報告)や情報公開請求の対象だと認識していなかったことが結論だ。組織的な隠ぺいではない」。自衛隊イラク派兵日報の存在が確認されながら、1年以上も「隠ぺい」されていた問題に関する報告書の公表を受け、小野寺五典防衛相は23日の記者会見でこう述べました。しかし、多くの疑問が残されたままになっており、これで幕引きは許されません。
疑問1 ミスの連鎖は本当なのか
▽「本当にイラク日報はないのか」という稲田朋美防衛相(当時)の指摘を「再探索指示」とは思わなかった▽前任者から「イラク関連の資料はない」と言われていたので、十分に探さず「日報はない」と報告した▽イラク日報を見つけたが、上級機関に報告する必要がないと思っていた―。
報告書は、現場の相次ぐミスの連鎖の結果として、イラク日報の存在が昨年3月27日に確認されていながら、今年4月まで、その事実が公表されなかったとしています。しかし、どの組織よりも指揮命令系統が厳格なはずの自衛隊で、指示や依頼の“誤認識”がこれだけ相次いでいるのが事実なら、「軍隊」として失格です。
防衛省は報告書が出る前から、国会での野党側の追及に「隠ぺい」を繰り返し否定してきました。「組織的隠ぺいではない」という結論ありきで、現場に責任を押し付ける形でつじつまを合わせているのではないか―との印象はぬぐえません。
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疑問2 なぜ再探索を指示したのか
報告書は、昨年2月20日の衆院予算委員会で、稲田氏が日本共産党の畠山和也議員(当時)らに対して、「イラク日報は残っていないことを確認している」と答弁した2日後の22日、統合幕僚監部の辰巳昌良総括官(当時)に対して、イラク日報の再探索を指示したことを記しています。
しかし、稲田氏がなぜ「残っていない」と断言しながら、再探索を指示したのか。その経緯は一切触れられていません。
稲田氏は当時、安倍政権を追い詰めていた南スーダン日報問題をさらに拡大させないために、あまり確信もないまま「残っていない」と答弁した可能性もあります。さらに、この答弁があったがゆえに、担当者がイラク日報の探索に及び腰で、存在を確認した後も報告をためらった可能性も排除されません。
稲田氏の国会招致は不可欠です。
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疑問3 日報はこれだけなのか
防衛省はこれまで、イラク日報に関して、陸自469日分の存在を確認し、一部黒塗りで公表しています。しかし、陸自のサマワ宿営地や周辺で発生した「事案」計14件のうち、同報告の事案発生日と同じ日付の日報は3日分しか見つかっていません。さらに、06年8月から「戦闘地域」である首都バグダッドなどで武装米兵などの空輸を行い、名古屋高裁で「憲法9条違反」との判決が下された空自の日報にいたっては、3日分しか公表されていません。
これらについては依然として、戦場の「不都合な真実」を覆い隠すための「隠ぺい」疑惑は残されたままです。
報告書は日報の全面公開に向けた今後の取り組みについては、一切触れていません。日報をはじめとした関連資料を全面公開し、イラク派兵の総括を行うべきです。
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