渡米阻まれた「赤狩り」想起
大阪大学名誉教授 松代愛三さん
大阪市の橋下徹市長の「思想調査」問題で、「しんぶん赤旗」に掲載された作家の澤地久枝さんの談話を読み、半世紀前の「赤狩り」の記憶が呼び覚まされました。
1960年代の初頭のことでした。大阪大学の微生物病研究所にいた私に、アメリカのオレゴン大学の分子生物学研究所の所長から、渡米して研究しに来ないかと声がかかりました。私は喜んで、アメリカ大使館に渡航ビザを申請しましたが、ビザの発行をかたくなに拒否されました。「共産党またはそれにくみする人物だから」という理由でした。
学生活動通報
思いあたるのは、アメリカが占領政策で反共を明確にしたとき、GHQ(連合国軍総司令部)教育顧問だったイールズが全国の大学で、「共産党員の教授は大学を去れ」と演説してまわり、それに反対して京大でも学生大会で「学問の自由を守れ」とストライキを決議したのです。その学生大会で議長を務めていたのが私で、大学から処分をうけたことや、京都大丸で日本初の原爆展を全学生自治会で開催したことなどです。
日本の警察は、学生の行動をこそこそとかぎまわって大使館に通報していたようです。
データ廃棄を
橋下市長がやっているアンケート調査は、澤地さんのおっしゃる通り、アメリカの「赤狩り」そのもので、私はそのとばっちりをうけて、学問・研究への自由が奪われました。
そういう調査を「問題ない」という橋下市長が、教育目標を市長が決める「教育基本条例」を制定しようとしているのは本当に恐ろしいことです。
「思想調査」をやめさせ、データを廃棄し、条例案を撤回させなければなりません。
赤狩り
1950年代にアメリカ議会で横行し、映画監督や脚本家、俳優などが「共産主義者」として疑いをかけられ、交友関係の自白や密告を強要されました。自白を拒否すれば、「議会侮辱罪」で処罰されました。
聞き手・写真 大阪府・小浜明代( 2012年3月17日付)