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2024年6月30日(日)

きょうの潮流

 歌手で俳優の越路吹雪(1924~80)生誕100年を記念して、早稲田大学演劇博物館が所蔵の舞台衣装やポスター、写真、雑誌等を展示しているというので、楽しみに出かけました▼代表曲の一つ「サン・トワ・マミー」など、目の前が暗くなるほどの寂しさが無性に身に染みたものです。闊達(かったつ)で華やかな舞台姿の一方で、悲しみを感じさせる深い歌声…▼13歳で宝塚歌劇団に入団し15歳でデビュー。男役スターとして人気を博します。27歳で退団後、傾倒するシャンソンを学ぶためパリへ。「愛の讃歌(さんか)」で有名なエディット・ピアフを聴いた夜、日記に〈語ることなし〉〈悲しい、淋(さび)しい、私には何もない〉〈泣く、初めてパリで〉と記しています▼戦後の日本にシャンソンとミュージカルを根付かせた押しも押されもせぬ実力者には意外な素顔も。40年来の盟友で作詞家の岩谷時子によれば、「才能二分に努力八分」が口癖の勤勉家で、神経が細く、開幕前には客にのまれないまじないに、背中に指で虎の字を書かせ、その上を三つたたいてもらうのが習慣だったといいます▼演出家の浅利慶太は〈越路さんは大スターになってからでも、最後の最後まで、僕が「そこが悪い」と言うと、「あ、そう」って全部、ゼロになって直しました〉と書き、自己過信の壁をつくらなかったと回想します▼56歳の若さで胃がんで亡くなって44年。慢心せず努力し続けること、虚心に意見を聴くことの大切さを教えられました。いま再び出会えた幸せを思います。


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