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2022年10月3日(月)

記者座談会 「日本共産党100年の歴史と綱領を語る」を読む(4)

「自主独立の路線」土台にした“綱領の理論史”

  第二の特質である「自己改革」の大きな特徴として語られているのが、苦闘の末に確立した「自主独立の路線」を土台にした綱領路線の理論的・政治的発展だ。

  いま綱領を学ぶときに、それを出来あがったものとして読むだけでなくて、綱領にある命題が歴史的にどうつくられ、発展し、いま力を発揮しているのかという歴史的な流れがわかる。“綱領の理論史”のようなものだね。

アメリカ帝国主義論の発展

  アメリカ帝国主義をどうみるか。これは、「赤旗」としても対米従属の実態告発や世界政治を報じるうえで不可欠な視点だ。

  「帝国主義」というと、レーニンの『帝国主義論』の命題を絶対化して、型紙に当てはめるように論じるものもあったけど、日本共産党のアメリカ帝国主義論は違うことがよくわかった。“米ソ協調”を唱えるソ連がアメリカは「“力の立場”に立つ政策を実施する物質的地盤を失ってしまった」と主張したのに対して、日本共産党はレーニンの『帝国主義論』を踏まえつつも、アメリカの実際の政策・行動を分析して、大きくない社会主義国や民族解放運動を狙い撃ちにしようとしていると指摘し、それを「各個撃破政策」と名付けた。

  この分析は、直後のアメリカによるベトナム侵略で実証された。

  志位さんは「わが党は、“アメリカの実際の政策や行動をもとにアメリカをとらえる”という姿勢を、その後も一貫して発展させてきました」と強調している。「実際の政策や行動をもとに」というところが肝だね。

  そこを強調しているね。2004年の第23回党大会の綱領改定では、帝国主義論そのものも発展させている。植民地体制が崩壊し、百を超える国々が新たに政治的独立をかちとって主権国家になった「世界の構造変化」のなかで、「独占資本主義=帝国主義」とはいえなくなった。では、どうやってその国を帝国主義とみるか。具体的な対外政策と行動を分析し、そこに侵略性が系統的にあらわれているかで判定するという立場だ。

  その立場でみると、アメリカはまぎれもなく帝国主義だ。ただ、その場合でも、アメリカの将来を固定的に見ず、現在の局面でも多面的・複眼的に見るという弾力的なアメリカ論を発展させた。一貫しているのは「実際の政策や行動をもとに」とらえるというリアリズムの立場だ。

  現在のウクライナ侵略問題、核兵器問題など、世界をリアルにとらえるうえで大きな力を発揮しているね。

“議会の多数を得ての革命”の路線

  反共論者の言説や謀略ビラで一番多いのが「暴力革命の党」という攻撃だ。この攻撃で利用されているのが、「50年問題」のときに党を分裂させた分派が干渉者のいうままに武装闘争方針を押し付けたという問題だ。

  今回の志位さんの講演は、現綱領の土台となった61年綱領の制定過程を掘り下げて探求し、綱領で掲げる“議会の多数を得ての革命”の路線が「暴力革命論」との徹底したたたかい、否定のなかで形成されてきたことを事実で明らかにしている。「暴力革命の党」という攻撃への根本的で断固たる反論となっている。

  この制定過程は重要な解明点だと思う。党を分裂させた分派がとった武装闘争方針をいつ、どのように否定したのか。志位さんは、このプロセスを「あらためてつぶさに調べて」、明瞭にした。

  1955年の「第6回全国協議会(6全協)」から58年の第7回党大会までは、日本共産党の綱領路線の最初の姿が形づくられてくるいわば“生成期”だ。志位さんは、その3年間のプロセスをあらためて調べてみたというんだね。

  その結果、1956年6月の中央委員会総会(6全協・7中総)で採択した決議が重要な契機だということがはっきりした。この決議では、日本を含め「一連の国々では…、議会を通じて、平和的に革命を行うことが可能となった」と明記され、分派の武装闘争方針の土台となった文書(「51年文書」)を日本の現状に「適合しない」ときっぱり否定している。

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(写真)第8回党大会で、綱領についての報告をおこなう宮本顕治書記長=1961年7月

  この決議採択を契機に、綱領制定の討議と「50年問題」の総括が同時並行で進んでいったんだね。そして57年の15回拡大中央委員会で総括文書「50年問題について」が採択され、58年の第7回党大会を経て、61年の第8回党大会で採択された61年綱領で“議会の多数を得ての革命”路線が明確にされた。「武装闘争方針の否定こそが61年綱領の確立する出発点だった」との指摘はとても重要だ。

  その後、中国との論争を通じて、“議会の多数を得ての革命”がマルクス、エンゲルスの革命論の大道に位置付けられていることを明らかにした(67年の「4・29論文」)こと。さらに1997年から2001年にかけて不破哲三さんが執筆した『レーニンと「資本論」』のなかで、レーニンの『国家と革命』の誤りを論証して“議会の多数を得ての革命”を豊かに肉付けしたことなど、“理論史”が面白い。

  不破さんが「『資本論』を『資本論』自身の歴史の中で読んでこそ、今日に生かせる」と語っていたことを思い出す。まさに「綱領を党自身の歴史の中で読む」という試みではないかと思った。

  志位さんが結論として「日本共産党の綱領路線は、『暴力革命論』との徹底したたたかい、否定のなかで形成されてきたものであって、公安調査庁がいくら妄想しようとも、『暴力革命論』が存在する余地などはどこにもない」と明言したのは痛快極まりない。

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(写真)党綱領一部改定案などを全員一致で採択した第28回党大会=2020年1月18日、静岡県熱海市

世界論の発展と野党外交

  綱領の世界論も大きく発展した。61年綱領の時は、「帝国主義陣営」対「反帝国主義陣営」という「二つの陣営」論という世界の見方だったが、2004年綱領改定、20年の綱領一部改定で、こうした図式主義を清算し、20世紀の世界史的発展を踏まえて、21世紀を展望するという世界論へ発展させた。

  20世紀に起こった世界の構造変化―植民地体制の崩壊と100を超える主権国家の誕生が、21世紀の今日、平和と社会進歩を促進する生きた力を発揮しはじめている―という世界の見方だね。ソ連、中国の覇権主義に対する闘争と批判を通じて、「二つの陣営」論など図式的見方を完全に清算したから到達することができたということだね。覇権主義とたたかう立場がいかに重要か、ここでも明らかだ。

  野党外交と世界論で注目されたのが、「発達した資本主義国の左翼・進歩政党との交流と協力の新たな発展をはかりたい」という表明だ。記念講演後の記者会見で、一般紙の記者から出た最初の質問がこの野党外交に関することだった。これは新たな注目点だね。

  欧州の左翼・進歩政党のなかには、NATO(北大西洋条約機構)に反対したり、核兵器禁止条約で頑張っているところがあるからね。発達した資本主義国での変革こそ社会主義・共産主義への大道という改定綱領の立場からみても、大いに期待されるところだ。

社会主義・共産主義論

  未来社会論―社会主義・共産主義論の理論的発展はいったいどうやってかちとっていったのか。これも興味深いところだけど、綱領改定案が提起された22大会7中総(2003年6月)で、綱領改定の責任者をつとめた不破さんが二つの角度から語っている。

  志位さんが紹介した部分だね。第一に、ソ連崩壊を受けてソ連社会の徹底的批判を行い、「対外関係においても、国内体制においても、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会であった」という結論に到達したこと。第二に、それと並行して、科学的社会主義の未来社会論そのものを、より根源的にとらえなおす努力をつくしたということだと。

  つまり、ソ連社会が社会主義と無縁な社会ならば、本来の社会主義とは何かが根本的に問われてくる。こうして、『国家と革命』の批判的検討をすすめ、『資本論』研究のなかからマルクス本来の未来社会論を発掘し、2004年に改定した綱領に盛り込んだわけだ。つまり、ソ連体制の徹底的批判が未来社会論の豊かな発展につながった。

  なるほど。「偶然、発掘された」というのでなくて、そこには必然性が働いているということだね。未来社会論の豊かな発展も、自主独立の立場での覇権主義とのたたかいがもたらしたものなんだね。この理論的発展で大きな役割を果たした不破さんの「科学的社会主義の『ルネサンス』をめざす活動とも呼べるもの」との言葉は印象的だった。

党の活動と組織のあり方―民主集中制の発展

  自己改革の努力は、党活動や組織のあり方の面でも発揮された。「50年問題」の総括と教訓にたって導きだした民主集中制だ。外国のどこから持ち込まれたものでもない、日本共産党が自らの体験をもとに導きだし発展させた“日本製”の組織原則なんだということがよくわかった。

  この組織原則を確立したからこそ、日本共産党は党内で徹底した民主的討論をへて61年綱領を確立でき、旧ソ連、中国・毛沢東派による内通者を分派に仕立てての干渉攻撃を打ち破ることができたんだね。

  2000年の規約改定で、「前衛」という表現を削除し、「上級・下級」といった表現をできるだけ削除したことや、「民主主義的中央集権制」という表現から「中央集権制」を削除し、「民主集中制」をきちんと定義したことの意味も明快だ。

  反共論者が繰り出す民主集中制への攻撃に対し、日本共産党大会の議案討議などを紹介しながらの志位さんの反論には、「その通り!」と声をあげた。討論もなくシャンシャンで終わる自民党大会などもみてきたからなおさらだ。

  志位さんは「科学的社会主義と綱領を土台に、誠実に、真剣に、自己改革の努力を続けるならば、どんな困難ものりこえることはできる」とまとめたが、この確信を胸に刻みたいね。(つづく)


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