2022年4月29日(金)
復帰50年 北緯27度線海上集会
新基地押し付け・絶えない米兵事件
沖縄を問い直す
1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄や奄美群島が日本から切り離されてから28日で70年。沖縄では「屈辱の日」と呼ばれています。沖縄県の国頭村(くにがみそん)と鹿児島県の与論町は同日、かつて沖縄の本土復帰を願い開かれていた「海上集会」を再現しました。
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海上集会が開かれたのは、辺戸(へど)岬(国頭村)と与論島(与論町)の間の北緯27度線。奄美が53年に本土復帰した後も、米統治下に置かれていた沖縄は、北緯27度線を「境界」として日本と分断されていました。1963年から69年まで、4月28日に双方が復帰を誓い合う海上集会を開いていました。
今回の海上集会は、沖縄の復帰50年を記念して、両町村が開催しました。
28日午前11時すぎ、約20隻の船が北緯27度線上で合流。お互いに手を振ったり、言葉をかけあったりして、「平和の絆」を確認し、友好平和宣言を読み上げました。
宣言は「4・28は、異民族からの支配をはねのけ、一日も早く日本国民として『日本国憲法』の保護を受けようと祖国復帰を叫んだ日である」とし、「その声は全国の声となり、復帰を果たした」と強調。いまだ「全国の米軍施設の約70%が沖縄県に存在し、今でも事件・事故が後を絶たないのが現状である」とし「これからも後世に歴史を伝えていく責務がある」と恒久平和の実現を願っています。
参加者は「沖縄を返せ」を合唱し、平和を祈って万歳をしました。
64年に海上集会に加わった浦添(うらそえ)市の男性(78)も参加。「58年前はたたかいの先頭に立っているという高揚感があった。今回は今の沖縄、日本を問い直し、これからの日本の平和な未来を目指す素晴らしい集いだった」と語りつつ、辺野古新基地建設や基地被害、米兵の事件・事故など今も残る問題の解決や日米地位協定の改定を訴えました。
同日、辺戸岬で復帰50年記念式典も開かれ、かがり火をたきました。