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2021年9月17日(金)

主張

「満州事変」90年

国の進路誤った過去の直視を

 90年前の1931年9月18日深夜、当時「満州」と呼ばれた中国東北部の奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖で、日本軍(関東軍)が、南満州鉄道の線路を爆破し、中国軍の仕業だとして軍事行動を開始します。これを機に日本軍は満州全土の制圧に乗り出しました。「満州事変」は、その後の日中全面戦争やアジア・太平洋戦争に拡大する起点となりました。憲法の平和原則を踏みにじる軍拡や改憲の動きが続く中で、二度と侵略と戦争の誤りを繰り返さぬ決意を新たにすることが重要です。

「権益守る」と軍事行動

 「満州事変」は、満州から内モンゴルにかけて「満蒙(まんもう)」と呼ばれた中国の領土を武力で占領しようとした日本軍の計画的な軍事行動でした。日本軍は「満蒙」の併合を目指しましたが、国際社会の批判をかわすために“自治独立運動”を偽装し、「事変」の翌32年に、かいらい国家「満州国」をでっちあげます。

 国際社会の戦争違法化の流れの中で、日本は公然とは戦争と宣言できませんでした。「満州国」は国際社会に認められず、国際連盟は日本に占領地からの撤退を勧告、日本は連盟を脱退して国際的な孤立の道に突き進みます。

 満州での日本の権益自体、日清・日露戦争など武力によって中国から奪ったものです。それを守るために侵略を拡大するというのは、道理がありません。当初「不拡大方針」をとっていた政府も、軍による侵略の拡大を追認し、戦争の泥沼に踏み込んでいきます。

 軍人や右翼勢力によるテロやクーデター未遂事件が相次いで、32年には青年将校などが起こした「五・一五事件」で犬養毅首相らが殺害され、政党内閣に終止符が打たれます。

 日本共産党は、「満州事変」開始の2カ月も前から日本が満州で新たな侵略戦争を起こそうとしていることを暴露し、機関紙「赤旗(せっき)」を通じて「日本帝国主義の戦争準備と斗(たたか)へ!」と呼びかけました。日本労働組合全国協議会(全協)なども、戦争反対の行動を呼びかけました。

 戦争は自然現象ではなく、避けられないものでもありません。政府と軍部は「満蒙生命線論」など謀略的な宣伝で国民をあおり立てました。政党の中では、日本共産党以外の保守政党や社会民主主義政党も積極的に戦争を支持しました。新聞なども戦争を美化する「戦況報道」を競い合い、侵略戦争推進の旗を振りました。45年8月の敗戦までの大新聞をはじめとしたマスメディアの戦争協力は、歴史の大きな汚点です。

戦争への道を許さない

 安倍晋三・菅義偉政権は、過去の戦争を反省せず、安保法制=戦争法などを強行・推進しました。菅首相の後継を決める自民党総裁選の候補者も、大軍拡や「敵基地攻撃」を公言し、憲法に自衛隊を書き込む改憲などを主張しています。日本を再び海外で戦争し、「殺し・殺される国」への道を進ませてはなりません。

 「満州事変」から90年の節目に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(日本国憲法前文)という決意に立ち返ることが重要です。政権交代で、立憲主義・平和主義にもとづく政治を実現することが平和を守る最善の道です。


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