2021年3月23日(火)
きょうの潮流
一人の子どもの命が失われたことに向き合って、謝ってほしい。二度と同じことが起きないよう対策を講じてほしい。ただ、それだけなのに▼2013年3月、奈良県橿原市の中学1年生がいじめを苦に自ら命を絶ちました。市と同級生らに損害賠償を求める裁判の判決が今日、奈良地裁で出されます。「本当は裁判なんかしたくなかった…」。苦渋の決断から5年。学校側は途中で調査を放棄。地域で飛び交う心ない噂(うわさ)が、娘を失った悲しみに暮れる遺族をむち打ちました▼学校はいじめの事実を知っていたのにほぼ何も対応せず、親にも伝えませんでした。第三者委員会の報告書が出された後も、何のアクションもなし。おとなの不誠実な対応が、反省する機会を子どもたちから奪ってしまいました▼娘が亡くなった後、担任は「一度だけ声をかけていた」と母親に告げました。「大丈夫か?」「大丈夫」。これが唯一の“対応”でした。「思わず『見殺しですか!』と言ってしまったんです。いじめを知っていたら、学校なんか行かせていなかったのに…」▼判決を前に同級生2人と和解。「亡き娘に報告できる内容だった。親として報われました」と話します。再発防止策が講じられないことが多く、「ちゃんと受け止めて対応したケースの方が珍しい、というのはおかしい。それが普通になってほしい」。思いは切実です▼願うのは、子どもの異変に気付いてきちんと対応できる環境の整備。「子どもの命最優先」が当たり前の学校なのです。