2020年10月24日(土)
「学問の自由守れ」貫く
滝川事件と「赤旗(せっき)」
弾圧に反対 運動を鼓舞
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戦前の京都大学・滝川事件のころから、天皇制政府は、「学問の自由」の弾圧を強化しました。非合法だった日本共産党は当時の機関紙「赤旗(せっき)」で、学問研究の自由を守れと訴え、学生たちに影響を与えていました。
時の政府は、京大の滝川幸辰(ゆきとき)教授の学説を「マルクス主義的」と決めつけ、1933年5月26日に休職命令を発令しました。「赤旗」は同日付で、「進歩的教授の罷免に反対して 天皇制の強化する 文化反動を撃退せよ!」という記事を出し、弾圧に反対しました。
この記事は「天皇制政府は、大学の残る進歩的教授のすべてを一掃し反動的ブルジョア科学を強化」するものだと指摘。労働者に科学者とともに立ち上がるよう呼びかけました。
この記事を書いたのは、当時、「赤旗」編集局員だった風早八十二(やそじ)氏です。戦後、49年の総選挙では日本共産党公認で当選(1期)しました。
風早氏は33年6月1日付でも「大町勇吉」の筆名で、「滝川教授の追出しに反対して 政治的無権利の強化と闘え!」と書いています。
戦後、弁護士として活躍した風早氏は、滝川事件が日本軍国主義による「戦争と政治反動のファッショ的強化の一環として生まれたものにほかならない」(『追想 末川博』)と述懐しています。
「赤旗」はさらに、滝川事件に抗議して東京大学で2000人がデモをしたことなどを報道(同6月26日付)。学問の自由を守る論陣をはり、運動を鼓舞しました。
「学問の自由」を守り、そのために活動する姿勢は、当時からの日本共産党と「赤旗」の一貫した姿勢です。