2020年8月31日(月)
核のごみ処分場 狙われる北海道
調査応募検討の寿都町 幌延町には研究施設
カギ握る世論と運動
北海道寿都(すっつ)町の町長が、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の埋め立て地を決める第1段階となる調査への応募を検討しています。政府が核のごみの処分方法を検討し始めたのは1962年。以来、60年近くたっても処分地は未決定です。しかし原発業界関係者は「以前より進む可能性がある」と歓迎しており、油断できない状況です。
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「調査には寿都町をはじめ複数の自治体などから広く関心を示してもらっている」。梶山弘志・経済産業相は25日の会見でそう歓迎しました。
会見を聞いた原子力業界団体の元幹部は、「政府の思惑は、いくつかの候補地に手をあげてもらって、競争させることだ。そうすれば高知県の東洋町みたいにつぶれない」と解説します。
東洋町では2007年に当時の町長が、住民や議会の反対を押し切って、核のごみの処分場建設に向けた調査の受け入れに応募し、リコール運動にまで発展。誘致の是非が問われた町長選挙では「応募白紙撤回」を掲げた新町長が誕生し、応募を撤回しました。これ以後、調査に応募した自治体は出ていません。
この元幹部は「東洋町のころは使用済み核燃料を保管する余裕が各原発にあったから困らなかった。いまは各原発の貯蔵可能容量の7割が埋まっており、尻に火がついている状態だ」といいます。
核のごみとは、使用済み核燃料を再処理した際に残る高レベルの放射性廃液をガラスで固めたもの。国はこれを300メートルより深い場所に処分場をつくり廃棄する計画です。少なくとも10万年は管理が必要とされ、誰も安全性に責任を負えないない代物です。
北海道は前々から国が処分場の設置を狙っている地域です。現在は幌延(ほろのべ)町に日本原子力研究開発機構が深地層研究センターを置き、地下坑道で処分の研究をしています。
そこに至る裏話を旧科学技術庁原子力局長だった島村武久氏が主催した「島村原子力政策研究会」(1985~95年)で、当事者が証言しています。
干場静夫・科技庁原子力バックエンド室長(当時)は81年か82年に幌延町から原子力施設を誘致したいと中川一郎科技庁長官に要請があったと90年に講演。島村氏は「幌延は最初の時から、試験はするけれども、よければ(核のゴミを)置いちゃうという考え方が非常に強かった」と語っています。
この研究会では東京電力副社長を務めた豊田正敏氏も94年に、「北海道のもっと違った場所にいい所があったんです、厚岸湾」と発言をしていました。
他方で国、原発業界の狙いをはねつけてきたのが道民の運動と世論です。前出の原発業界団体元幹部も「北海道は人口密度が少ないので適地と考えられてきた。とはいえ道民の警戒心は強いから簡単にはいかない」と語ります。
原発に頼らぬ財源交付こそ
日本共産党の真下紀子道議団長の話 寿都町の片岡春雄町長は、応募検討の理由に最大20億円の交付金をあげています。寿都町は早くから風力発電に取り組み漁業を振興してきました。地方を財政難に追いやっているのは国の責任です。原発マネーに頼らなくても住み続けられる財源を国が交付すべきであり、町長は応募検討を撤回すべきです。北海道には核のごみを「受け入れ難い」と宣言した条例があります。核のゴミは持ち込ませないという道民の声を広げるとともに、この条例をより厳しく改正する必要があります。