2020年8月12日(水)
やっぱり少人数学級 インタビュー編
学ぶ喜びを分かち合いたい
教育研究者 高知県土佐町議会議員(無所属) 鈴木大裕さん
「コロナの危険の中で学ぶ子どもたちに少人数学級を」と教育研究者有志が呼びかける署名。署名の呼びかけ人の一人、教育研究者で高知県土佐町議会議員(無所属)の鈴木大裕さんに聞きました。
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コロナ危機をきっかけに、教員や教職員組合、保護者が中心となって、「少人数学級を」という運動が再燃しました。そこに教育研究者も加わったことは、とても有意義なことだと感じています。
教育的な観点から少人数学級の必要性が叫ばれてきました。それが今回のコロナ禍で、子どもの健康面からもとても大切な観点なのだ、と一気に意識されるようになりました。
ことあるごとに財務省などは、「少人数学級の必要性を示す証拠をわかりやすく説明せよ」などと言います。こうした要望に対し、学力テストの点数アップのような、一見するとわかりやすい数値を示しがちです。でも、それがそもそもの間違いであって、子どもの人間的な成長にとってどんな効果があるのか、という視点から考えるべきです。そのことを意識しなければ、私たち自身が競争と格差を当然とする新自由主義にのみ込まれてしまう危険性があります。
正規の教員を
また少人数学級はとても大切なのですが、今の政府の動きを見ると危うい面があることも否定できません。一番の心配は、「教員不足」を理由に教員免許の規制緩和などで数合わせをして、こま切れの雇用に落とし込み、使い捨てしやすい労働者を一気に増やすのではないか、ということです。子どもに豊かな学びを保障するためにも、正規の教員をきちんと増やすことこそ求められています。
一斉休校をめぐる一連の動きは、政治的パフォーマンスというべきものでした。「要請」という形で現場に裁量があるように言いますが、裁量権を長きにわたって奪い、イエスマンを大量生産してきたのは国の方です。問題が起きても、国は責任を取りません。
そして今、「学びの遅れを取り戻せ」という号令のもと、夏休みを短縮してでもぎゅうぎゅうと“知識”が詰め込まれようとしています。子どもが苦しむのがわかっていながら、そうせざるを得ない教員はつらい。このままでは教員が、子どもたちを勉強ギライ、学校ギライにする“共犯者”になってしまいます。私たちがおとなの都合だけで教育を考えていたら、これから先ずっと子どもに恨まれ続けることでしょう。
多様性の祝福
私が学校に望むのは、とてもシンプルなことです。子どもたちと学ぶ喜びを分かち合ってほしい。そして、彼らに学び方を教えてほしい。それさえできれば、実は授業数なんて重要ではないように思うのです。
一斉休校をへて、学校が実にさまざまな機能をもつことが浮き彫りになりました。だからこそ、教員の専門性とは何かが問われており、「学校とは何か」という大きな問いをみんなで考えなければいけません。
何より学校は、人を育てる場所です。学校には、実にさまざまな子どもが集ってきます。教員が一人ひとりの違いに丁寧に寄り添い、かかわる中で、そこに集った子どもたちの多様性を祝福する。そんなことを可能にするためにも、子ども一人ひとりと向き合える少人数学級が大事だと思います。署名をどんどん広げていただけたら、うれしいです。