2020年4月12日(日)
改定綱領学習講座(4)
改定綱領が開いた「新たな視野」〈4〉
志位委員長の講義
(3月22日付)
一、綱領一部改定の全体像――党大会の結語での理論的整理
二、中国に対する綱領上の規定の見直しについて
(3月29日付)
三、植民地体制の崩壊を「構造変化」の中心にすえ、21世紀の希望ある流れを明記した
(5日付)
四、資本主義と社会主義の比較論から解放され、本来の社会主義の魅力を示すことが可能に
(本日付)
五、社会主義革命の世界的展望にかかわるマルクス、エンゲルスの立場が押し出せるように (完)
五、社会主義革命の世界的展望にかかわるマルクス、エンゲルスの立場が押し出せるように
講義の第5章に進みます。
第三に、中国に対する綱領上の規定の見直しは、綱領の未来社会論でも「新たな視野」を開きました。「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という、マルクス、エンゲルスの本来の立場を、綱領で堂々と押し出すことができるようになりました。改定綱領では、この命題を綱領第5章の新しい第18節に書き込みました。
マルクス、エンゲルスが明らかにした社会主義革命の世界的展望
マルクス、エンゲルスが明らかにした社会主義革命の世界的展望はどのようなものだったのか。8中総の提案報告で簡単に触れていますが、今日は少し立ち入って明らかにしておきたいと思います。
“資本主義が進んだ国から革命がはじまり、イギリス革命が決定的意義をもつ”
マルクス、エンゲルスは、資本主義を乗り越える社会主義革命を展望したときに、この革命は、当時の世界で、資本主義が最も進んだ国――イギリス、ドイツ、フランスから始まるだろうと予想し、どこから始まるにせよ、当時の世界資本主義で支配的地位を占めていたイギリスでの革命が決定的な意義をもつことを繰り返し強調しました。この問題について、マルクス、エンゲルスは、若い時期から晩年の時期までさまざまな発言を残していますが、いまのべたことは、彼らの一貫した見通しでした。
マルクスが1870年に執筆した論文を紹介したいと思います。
「革命的なイニシアチブはおそらくフランスによってとられるであろうが、真剣な経済的革命の槓杆(こうかん=テコのこと――引用者)として役だちうるのはイギリスだけである。イギリスは、もはや農民が存在せず、土地所有がほんの少数の手に集中しているただひとつの国である。また、資本主義的形態――すなわち、資本主義的企業家のもとに大規模に結合された労働――がほとんど全生産を支配しているただひとつの国である。また、人口の大多数が賃金労働者からなっているただひとつの国であり、階級闘争と労働組合による労働者階級の組織化とが、ある程度の成熟さと普遍性を獲得しているただひとつの国である。さらに、その世界市場の支配によって、その経済関係におけるどんな革命も、直接に全世界に作用を及ぼさざるをえないただひとつの国である。地主制度と資本主義がこの国にその古典的な本拠をもっているとすれば、他方ではこれを破壊する物質的諸条件がここで最も成熟しているわけである」(マルクス「総評議会からラテン系スイス連合評議会へ」、全集(16)380~381ページ、古典選書『マルクス インタナショナル』129ページ)
ここでマルクスが、イギリスにおける社会主義革命の条件の成熟について、二つの面から語っていることに注目したいと思います。
一つは、「資本主義的企業家のもとに大規模に結合された労働」――資本主義の発展がつくりだす客観的条件です。もう一つは、「階級闘争と労働組合による労働者階級の組織化」――社会変革の主体的条件の「ある程度の成熟」です。この二つの側面で、イギリスが社会主義革命の条件が最も成熟した国だとのべています。さらにイギリスでの革命が、その「世界市場の支配」によって、全世界にとって重要な意義を持つことを強調していることにも、注目したいと思います。
マルクスがこの論文を書いたのは、1870年1月1日でした。その後、1871年のフランスでのパリ・コミューンとその敗北を経て、マルクス、エンゲルスは、革命の先駆けの役割は、フランスからドイツに移ったと見ました。さらに1880年代には、ロシア革命が社会革命の「合図」となる可能性にも言及しましたが、その場合でも、西ヨーロッパの革命、とくにイギリスの革命が決定的意義をもつことを強調しました。
マルクスが、イギリスの革命の決定的意義について、社会主義に進む客観的・主体的条件の成熟という問題とともに、「世界市場の支配」ということを重視していることは、今日、たいへんに重要だと思います。今日、一握りのグローバル大企業による「世界市場の支配」が、世界経済のなかで、19世紀のイギリスとは比較にならない支配力をもっているという現実にてらしても、マルクスの示したこの見地は、21世紀の世界で社会主義変革を考えるうえでも重要な観点になると思います。
ヨーロッパ革命と遅れた国ぐにの変革の関係――エンゲルスが描いた展望
いま一つ、資本主義の発展の遅れた地域をどう考えていたか。マルクス、エンゲルスは、資本主義の発展の遅れた地域についても、その未来が社会主義への前進にあることを指摘しましたが、ヨーロッパでの革命が「巨大な力」とも、「模範」ともなって、これらの地域の社会主義的変革に影響を及ぼすだろうと考えていました。
エンゲルスが、1882年9月12日にカウツキーにあてた手紙を紹介します。
「まずヨーロッパが(社会主義的に――引用者)改造されて北アメリカに及べば、それが巨大な力ともなれば模範ともなって、半開の諸国はまったくひとりでにひきずりこまれるわけです。経済的な必要から見ただけでもそうなります。しかし、それからこれらの国々が、同様に社会主義的な組織に到達するまでには、社会的および政治的などんな諸段階を通らなければならないか、これについては、思うに、われわれは今のところではただかなり無用な仮説を立てることができるだけです。ただ一つ次のことだけは確実です。それは、勝利を得たプロレタリアートは、自分自身の勝利を無にすることなしには、他のどんな民族にたいしてもどんな恩恵も押しつけることはできない、ということがそれです。といっても、もちろん、このことは、いろいろな種類の防衛戦争をけっして排除するものではありません」(1882年9月12日 エンゲルスからカウツキーへの手紙 全集(35)307ページ、古典選書『マルクス、エンゲルス書簡選集』中巻244ページ)
この手紙の最後の部分はたいへんに有名です。勝利を得たプロレタリアートは、“革命の輸出”をしてはならない、そんなことをやれば革命は台無しになると、厳しく戒めた文章として有名ですが、その前の部分にも注目してみたいと思います。
ここでエンゲルスは、ヨーロッパでの革命が「巨大な力」「模範」となって、遅れた国ぐにを社会主義の道に引き込む場合でも、それらの国ぐにが「社会主義的な組織に到達」するまでには、「社会的および政治的」な「諸段階」が必要になるとのべています。その具体的内容については「無用な仮説を立てる」ことしかできない――いまいうことはできないとのべつつ、「諸段階」が必要になると指摘していることに注目したいと思います。つまり、そうした場合でも、遅れた国ぐにで一挙に社会主義に進むことはできない――ここまでエンゲルスが目配りをした発言をしていることに注目したいと思います。
マルクス、エンゲルスから二つの文献を紹介しました。これらの文献からも明らかなように、「発達した資本主義国における社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という改定綱領が押し出した命題は、もともとマルクス、エンゲルスが当然の見方としていたことだったということを、強調したいと思います。
中国に対する綱領上の規定の見直しは、未来社会論でも新たな画期的視野を開いた
ところが、これまでは、マルクス、エンゲルスのこの立場を、綱領に明記するわけにはいかない状況がありました。
なぜなら現実に、資本主義から離脱して社会主義への道にふみだしたのが、ロシア、さらには中国という、資本主義の発展が遅れた国だったからです。
改定前の綱領についても、資本主義的発達が遅れた状態から出発して、「社会主義をめざす新しい探究を開始」している国が、「世界史の重要な流れになりつつある」という認識に立っていました。すなわち「二つの体制の共存」という世界論・時代論に立っていました。そのために、簡単に、この命題を綱領に書き込むわけにはいかないという状況がありました。
中国に対する綱領上の規定の見直し、それにともなう「二つの体制の共存」という世界論・時代論の見直しなど、今回の綱領一部改定によって、こうした状況は根本から変わりました。社会主義革命の世界的展望にかかわるマルクス、エンゲルスの本来の立場を、正面から堂々と綱領で押し出すことができるようになりました。それは、未来社会論においても、新たな画期的な視野を開くものとなったのであります。
「発達した資本主義国における社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という命題は、8中総の結語でのべたように、ロシア革命以降の1世紀の歴史を概括して、私たちが「一つの世界史的な『割り切り』」をした結果として導いた命題であったことを、強調しておきたいと思います。
未来社会に継承すべき「五つの要素」――マルクス、エンゲルスが力説したもの
次に進みます。改定綱領の第5章の最後の第18節は、資本主義の高度な発展そのものが、その胎内に未来社会に進むさまざまな客観的条件、および主体的条件をつくりだすこと、それらは生産手段の社会化を土台にして、未来社会において発展的に継承されていくことを、次の「五つの要素」を列挙して明らかにしました。
一つは、「資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力」。
二つは、「経済を社会的に規制・管理するしくみ」。
三つは、「国民の生活と権利を守るルール」。
四つは、「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」。
五つは、「人間の豊かな個性」。
以上の「五つの要素」にまとめました。
ここで強調しておきたいのは、これらの諸要素は、そのどれもがすべて、マルクス、エンゲルスが力説したものであるということです。このことを古典にたちかえってのべておきたいと思います。
「高度な生産力」――未曽有の生産力を発展させ、未来社会の物質的土台をつくる
第一の要素――「資本主義のもとでつくりだされた高度な生産力」についていえば、マルクスは、資本主義のもとで、資本は、最大の利潤をくみあげるために、「生産のための生産」に突き進み、未曽有の生産力の発展を達成し、未来社会のための物質的条件を創造することを、くりかえし語っています。マルクスの『資本論』の一節を紹介します。
「価値増殖の狂信者として、彼(人格化された資本のこと――引用者)は容赦なく人類を強制して、生産のために生産させ、したがって社会的生産諸力を発展させ、そしてまた、各個人の完全で自由な発展を基本原理とするより高度な社会形態の唯一の現実的土台となりうる物質的生産諸条件を創造させる」(『資本論』第一部第七篇第二二章「剰余価値の資本への転化」、新版(4)1030ページ)
ここでマルクスが、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とするより高度な社会形態」といっているのは、社会主義・共産主義社会のことです。資本主義は、未曽有の社会的生産諸力を発展させ、未来社会の土台となりうる物質的諸条件を発展させる。この基本命題が書かれています。
「経済を社会的に規制・管理するしくみ」――銀行制度は未来社会に進むテコになる
第二の要素――「経済を社会的に規制・管理するしくみ」に関わっては、マルクスの代表的な論述として、『資本論』第三部信用論のなかの一節を紹介したいと思います。
「銀行制度は、形式的な組織と集中という点から見れば、……およそ資本主義的生産様式が生み出すもっとも人為的でもっとも発達した産物である。……この銀行制度とともに、社会的規模での生産諸手段の一つの一般的な記帳および配分の形態が、ただしその形態だけが与えられる……。
……資本主義的生産様式から結合した労働の生産様式(社会主義的生産様式――引用者)への移行の時期に、信用制度が有力な槓杆(こうかん)として役立つであろうことは、なんの疑いもない。とはいえ、それはただ、生産様式自体の他の大きな有機的諸変革と連関する一要素としてでしかない」(『資本論』第三部第五篇第三六章「資本主義以前[の状態]」、新書版(11)1062~64ページ、上製版IIIb1068~1069ページ)
ここでマルクスは、銀行制度について、「社会的規模での生産諸手段の一つの一般的な記帳および配分の形態」と言っています。これはどういうことか。
たとえば、大銀行の帳簿をここに持ってきたとします。その帳簿を見れば、銀行がどの企業にどれだけの資金を貸しているか分かります。それだけでなく貸し付けする相手企業の財務状況はどうなっているのかについても分かるはずです。さらに、日本における銀行グループの全体の帳簿をここに持ってきたとしますと、日本において、生産諸手段――工場、機械、土地などが、社会全体でどのように配分され、どのように使われているかが、一目瞭然となるでしょう。銀行制度というのは、そういう意味で、経済を社会的に規制・管理する一つの重要なしくみになっているわけです。マルクスはここをとらえて、銀行制度・信用制度が、未来社会への移行の時期に「有力な槓杆になる」という解明を行いました。
ただそうなるには条件があって、「生産様式自体の他の大きな有機的諸変革と連関する一要素としてでしかない」――生産手段の社会化という大きな変革のなかで、「有力な槓杆」の一つとしての役割を果たすのだと、マルクスはあわせて強調しています。
「経済を社会的に規制・管理するしくみ」は、いろいろな形で、資本主義の発達とともにその胎内に生まれてきます。それをテコにして未来社会に進むことができる。これが二つ目の要素であります。
「国民の生活と権利を守るルール」――「新しい社会の形成要素」を成熟させる
第三の要素――「国民の生活と権利を守るルール」に関わっては、マルクスは『資本論』のなかで、次のような解明を行っています。
――資本は、社会によって強制されなければ、無制限の利潤追求に走ってしまい、そのことによって社会のまともな発展の条件を自ら掘り崩すことになる。
――そうした破局的事態をさけ、労働者の命と暮らしを守り、経済社会のまともな発展を進めるためには、工場立法によって労働時間を法律で規制するなど、「社会による強制」が避けて通れなくなる。
――労働者は結束して、自分と家族、労働者を守るための国の法律――「社会的バリケード」=工場立法をたたかいとらなければならない。
そして、マルクスは、こうした工場立法が一般化すること――労働時間短縮の立法が社会全体に広がることが、社会変革にとってどういう役割を果たすかについて、次のような歴史的意義づけを行っています。
「工場立法の一般化は、……新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(『資本論』第一部第四篇第一三章「機械と大工業」 新版(3)877ページ)
マルクスはここで、工場立法の一般化のもつ意義を、二つの側面から解明しています。
第一は、古い生産の諸形態をしめだし、労働過程の全体を「大きな社会的規模での結合された労働過程」に転化することを促進し、「生産過程の物質的諸条件および社会的結合」とともに、資本主義の胎内で「新しい社会の形成要素」を成熟させるということです。工場立法が、新しい社会への客観的条件をつくりだすことを、マルクスは「新しい社会の形成要素」という言葉で表現しました。
第二は、工場立法の一般化によって、労働者に対する「資本の直接的なむき出しの支配」が産業全体に広がり、「資本の支配に対する直接的な闘争」を一般化させ、「古い社会の変革契機」を成熟させるということです。工場立法の一般化によって、労働者階級が成長・発展し、社会変革の主体的条件を成熟させるということをのべています。
(注)マルクス『資本論』のこの部分の文章の全体を紹介しておきます。難しい言い回しも多いのですが、工場立法と社会変革の関連について考察した重要な文章ですので、読んでいただければと思います。
「労働者階級の肉体的および精神的な保護手段として工場立法の一般化が不可避的になると、他方で、それは、すでに略述したように、矮小(わいしょう)な規模の分散した労働過程から大きな社会的規模での結合された労働過程への転化を、したがって資本の集中と工場体制の排他的支配とを一般化し、かつ促進する。工場立法の一般化は、資本の支配をなお部分的に背後におおい隠しているすべての古い諸形態および過渡的諸形態を破壊して、資本の直接的なむき出しの支配に置き換える。したがってそれは、資本の支配にたいする直接的な闘争をも一般化する。工場立法の一般化は、個々の作業場においては、斉一性、規則正しさ、秩序、および節約を強要するが、他方では、労働日の制限と規制が技術に押しつける強大な刺激によって、全体としての資本主義的生産の無政府性と破局、労働の強度、そして機械と労働者との競争を増大させる。工場立法の一般化は、小経営および家内労働の領域とともに、『過剰人口』の最後の避難所を破壊し、そしてそれとともに全社会機構の従来の安全弁を破壊する。工場立法の一般化は、生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(新版(3)877ページ)
2010年の第25回党大会への中央委員会報告では、わが党の綱領でのべている「ルールある経済社会」とは、資本主義の枠内で実現すべき目標ですが、労働時間の抜本的短縮、両性の平等と同権、人間らしい暮らしを支える社会保障など、この改革で達成された成果の多くは、未来社会にも引き継がれていくという展望をのべました。
『資本論』でマルクスがのべた、「工場立法の一般化は、……新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」との解明は、わが党の綱領の示す「ルールある経済社会」という方針が、当面する民主的改革の中心課題の一つであるだけでなくて、未来社会――社会主義・共産主義社会に進むうえで、その客観的条件および主体的条件をつくりだすという意義をもっているということを、大きなスケールで描き出すものとなっています。
「自由と民主主義」――「民主共和制」の旗を一貫して掲げ続けた
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第四の要素――「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」についてはどうでしょうか。
マルクス、エンゲルスは、19世紀の40年代に革命運動に参加した初めの時期から、その生涯を閉じるまで、民主共和制――主権者である国民全体に選挙権を保障する普通選挙権と、国民が自由な選挙で選んだ国会が主権を行使する国の最高機関となる体制の実現を、労働者と人民の運動の中心的な政治目標として主張し続けました。
エンゲルスはその最晩年に、自らの活動を振り返って次のような言葉を残しています。
「マルクスと私とは、四〇年も前から、われわれにとって民主共和制は、労働者階級と資本家階級との闘争が、まず一般化し、ついでプロレタリアートの決定的な勝利によって、その終末に到達することのできる唯一の政治形態であるということを、あきあきするほど繰りかえしてきているのである」(エンゲルス「尊敬するジョヴァンニ・ボーヴィオへの回答」1892年2月6日、全集(22)287ページ、古典選書『エンゲルス 多数者革命』198ページ)
ここにも明らかなように、民主共和制についてのマルクス、エンゲルスの態度は、きわめて明瞭です。それは、自由と民主主義の中心課題であり、資本主義のもとで獲得すべき闘争目標であると同時に、社会主義革命の勝利を可能にする政治形態であり、さらには、革命の勝利後に成立する社会主義の国家がとるべき国家形態でした。この国家形態のもとで、自由と民主主義が全面的に花開く社会をつくる――これが彼らが一貫して追求した基本路線でした。日本共産党は、科学的社会主義のこの立場を、まっすぐに受け継いでいるということを、私は、強調したいと思います。
日本共産党に対して、「独裁」とか、「専制」などといった攻撃を投げかけてくるものがいますが、それはマルクス、エンゲルスの立場とも、本来の社会主義の立場とも、まったく無縁の中傷であり、デマだということを、はっきりとのべておきたいと思います。
「人間の豊かな個性」――「個性」の発展という角度から人類史を概括
第五の要素――「人間の豊かな個性」についてはどうでしょうか。
マルクスは、『資本論』の最初の草稿――『57~58年草稿』のなかで、「個人」「個性」の発展という角度から、人類史の発展を三つの段階に概括して、次のようにのべています。数字と段落は、私がつけたものです。ノートということもあり、読みづらい言葉も多いのですが、まず読んでみたいと思います。
「1、人格的な依存諸関係(最初はまったく自然生的)は最初の社会形態であり、この諸形態においては人間的生産性は狭小な範囲においてしか、また孤立した地点においてしか展開されないのである。
2、物象的依存性のうえにきずかれた人格的独立性は第二の大きな形態であり、この形態において初めて、一般的社会的物質代謝、普遍的諸関連、全面的諸欲求、普遍的諸力能といったものの一つの体系が形成されるのである。
3、諸個人の普遍的な発展のうえにきずかれた、また諸個人の共同体的、社会的生産性を諸個人の社会的力能として服属させることのうえにきずかれた自由な個性は、第三の段階である。第二段階は第三段階の諸条件をつくりだす」(『資本論草稿集』(1)138ページ)
第一段階(第一段落)は、「人格的な依存諸関係」です。これは原始共産主義から奴隷制、封建制までの段階です。原始共同体では、人間は共同体の一部として、共同体に依存する関係になっており、まだ独立した人格は生まれていません。奴隷制や封建制ではどうか。これらの社会制度のもとでは、被支配階級の人間は、奴隷として、また農奴として、その人格がまるごと隷属下におかれます。人格的な独立性がまだ存在していません。こういう段階では、ごく一部の支配階級は別にして、大多数の抑圧された人々のなかでは、豊かな個性の発展は問題になりえません。これが第一の段階です。
第二の段階(第二段落)は、「物象的依存性のうえにきずかれた人格的独立性」です。これは資本主義社会のことです。この社会になって初めて、人格的な隷属は過去のものになります。労働者は資本との関係で、搾取・従属関係におかれていますけれども――そのことをマルクスは「物象的依存性」という言葉でのべています――、人格的には独立しています。こうした人間の「人格的独立性」が、社会全体の規模で現実のものになるのは、資本主義の段階であるわけです。この段階になって初めて、社会全体の規模で、人間の豊かな個性が発展することができるようになり、個人の権利や自由についての自覚が大きく発展することも可能になります。ただ、この段階は、「人格的独立性」を獲得したけれども、まだ搾取のもとにおかれているという限界があります。
第三段階(第三段落)は、社会主義・共産主義の段階です。マルクスは「自由な個性」という言葉を使っていますが、まさに人間の「自由な個性」が、搾取関係という手かせ、足かせからも解放されて、豊かに全面的に開花する社会を、彼は、未来社会のなかに見いだしました。
ここで、マルクスが、「第二段階は第三段階の諸条件をつくりだす」とのべ、「第二段階」――資本主義社会の果たす歴史的意義を強調しているところが、大切なところだと思います。マルクスは、社会主義・共産主義社会の構成員になる、人格的に独立し、豊かな個性をもった自由な人間自体が、資本主義社会の時代を通じて準備される、そこに資本主義社会の一つの大きな歴史的使命があるということを、壮大なスケールで明らかにしているのであります。
改定綱領で「五つの要素」としてまとめた形で整理した意義――四つの角度から
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このように、資本主義の高度な発展がつくりだし、未来社会に継承すべき「五つの要素」は、どれもマルクス、エンゲルスが明らかにしたものですが、それを改定綱領のなかで「五つの要素」としてまとめた形で整理したことは、私は、重要な意義をもつものになったと思います。
そのことを四つの角度から強調しておきたいと思います。
発達した資本主義国における社会変革が「大道」であることを理論的に裏付けた
第一は、それは、「発達した資本主義国における社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という命題を理論的に裏付けるものとなりました。
すなわち発達した資本主義国において、私たちが、社会主義的変革に踏み出した場合には、社会主義・共産主義を建設するために必要な前提が、「五つの要素」という形で、すでに豊かな形で成熟しているのであります。それらの成熟した諸条件をすべて生かして、生産手段の社会化を土台に、発展的に継承して新しい社会をつくることができるわけであります。
こうして「五つの要素」という整理は、「発達した資本主義国における社会変革」こそ、社会主義・共産主義にいたる「大道」――一般的・普遍的な道であることを、理論的に裏付けるものになっていると思います。
未来社会のイメージ――「豊かで壮大な可能性」がより具体的につかめるように
第二に、「五つの要素」という整理によって、わが党がめざす未来社会のイメージがよりつかみやすくなったのではないでしょうか。
未来社会について青写真は描かない――これはマルクス、エンゲルスの立場であり、わが党の立場であります。同時に、そのイメージを、国民に、できるだけわかりやすく伝えていくことは大切であります。
わが党は、2004年の綱領改定で、「生産手段の社会化」を社会主義的変革の中心にすえるとともに、労働時間の抜本的短縮によって「社会のすべての構成員の人間的発達」を保障する社会という、マルクス本来の未来社会論を生きいきとよみがえらせました。労働時間の抜本的短縮によって、社会のすべての構成員が自由に使えるたくさんの時間を得ることができるようになる、それを使って自分のなかに眠っている潜在的な力を存分に発揮して、すべての人間が自由で全面的な発展をとげることができるようになる。そのことが社会全体のすばらしい発展をもたらす。2004年の綱領改定では、こういうマルクス本来の未来社会論の核心に光をあて、綱領のなかにしっかりとすえました。
今回の綱領一部改定では、これを未来社会論の核心に引き続きすえるとともに、綱領の未来社会論にもう一つの「核」をつけくわえたと言えると思います。
すなわち、私たちのめざす社会主義・共産主義の社会が、資本主義の高度な発展によって達成した「五つの要素」を継承・発展させる社会――高度な生産力だけでなく、経済の社会的な規制・管理のしくみ、国民の生活と権利を守るルール、自由と民主主義の諸制度、人間の豊かな個性などの面でも、資本主義社会での達成をすべて引き継ぎ、豊かに発展させる社会であることを、まとまって綱領で明示することによって、未来社会のイメージ、その豊かで壮大な可能性がより具体的につかめるようになったのではないでしょうか。国民のみなさんにも、私たちのめざす未来社会のイメージが、より語りやすくなったのではないでしょうか。
「今のたたかいが未来社会に地続きでつながっている」ことがより明瞭になった
第三に、「五つの要素」という整理によって、「今のたたかいが未来社会へと地続きでつながっている」ことがより明瞭になったと思います。
大会の綱領報告でのべたように、「五つの要素」のなかには、資本主義の発展が必然的につくりだす要素もありますが、人民のたたかいによって初めて現実のものとなる要素もあります。
「国民の生活と権利を守るルール」は、労働時間短縮の歴史が証明しているように、世界でも日本でも、人民のたたかいによってつくりだされてきたものです。
「自由と民主主義の諸制度」も、世界各国人民のたたかいによって、多くの犠牲のうえにかちとられ、豊かにされてきたものです。
「人間の豊かな個性」の発展も、資本主義社会のもとで自動的に進行するものではありません。民主主義の感覚、人権の感覚、主権者意識、ジェンダー平等の感覚――これらはどれも、人間に最初から備わっているものではありません。人民のたたかいによって歴史的につくられてきたものであり、つくられつつあるものにほかなりません。今日の講義では、ジェンダー平等についてもお話ししましたが、ジェンダー平等の感覚も、私たちがいま、ジェンダー差別をつくりだす政治を変えるたたかいに取り組むとともに、学び、自己改革するなかで身につけていかなければならない感覚です。
「今のたたかいは、そのすべてが未来社会へと地続きでつながっており、未来社会を根本的に準備する」――こういう大志とロマンのなかに、現在の私たちのたたかいを位置づけるうえでも、「五つの要素」という整理は力を発揮すると思います。
旧ソ連、中国など――自由と民主主義、個性の発展などの取り組みは無視された
第四に、「五つの要素」という整理は、ソ連がなぜ崩壊し、中国でなぜさまざまな問題点や逆行が噴き出しているかを明らかにするものともなりました。
その直接の原因は、指導勢力の誤りにありますが、この両者に共通している根本の問題は、出発点の遅れという問題でした。言葉を換えて言いますと、「五つの要素」――社会主義を建設するために必要な前提が、革命の当初、どれも存在しないか未成熟でした。それらの国ぐにでは、革命を行ったのちに、社会主義を建設するために必要な前提として、これらの諸要素をつくりだす必要がありました。ここに、遅れた国から出発した革命の困難性がありました。
ところが、これまでの一連の革命では、この困難性を正面から直視し、打開するための取り組みがなされたとは言えませんでした。「五つの要素」のなかで、生産力の発展などはそれなりに重視されても、とくに自由と民主主義の諸制度をつくるための努力、人間の豊かな個性の発展などの取り組みなどは無視されました。
スターリンによって反対政党の存在や活動を認めず、社会主義の名のもとに一つの党による政権の独占を憲法上の制度にするという、社会主義とはおよそ無縁の反民主主義の制度がつくられ、各国に広げられました。人間の豊かな個性の発展どころか、人間を抑圧し、個性を圧殺する人権侵害が、深刻な形で行われました。そこに挫折や変質の根本的原因があることを指摘しなくてはなりません。
逆に言いますと、「五つの要素」の豊かな発展を土台に、社会主義・共産主義へと進むことを展望する日本においては、旧ソ連や中国のような人権侵害や民主主義抑圧は決して起こりえません。自由、民主主義、人権など、資本主義時代の価値ある成果のすべてが受け継がれ、豊かに花開く社会が訪れることは、わが党の綱領上の確固たる公約にとどまらず、社会発展の法則的な必然であることを、「五つの要素」という整理によって、より明瞭につかむことができるのではないでしょうか。
綱領一部改定は、綱領の生命力を一段と高めるものとなった
今日は、「改定綱領が開いた『新たな視野』」を主題に、綱領一部改定についてお話をしましたが、中国に対する綱領上の規定の見直しが、綱領全体にあたえた「新たな視野」はきわめて大きなものがあったと言えるのではないでしょうか。
それは、綱領の世界論、未来社会論の考え方の根本を発展させ、さまざまな豊かな内容をつけくわえ、綱領の生命力を一段と高めるものとなりました。中国に対する規定を削除したことが、ジェンダー平等を綱領に書き込むことにもつながったわけですから、論理の運びというのは、なかなか面白いものであります。この内容を、国民のなかで大いに語り、日本の前途を語り合う活動を大いに強めようではありませんか。
日本共産党が置かれた世界的位置を深く自覚して、力をつくそう
日本共産党は世界的にも重要な位置に押し出されている
改定綱領は「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道である」という命題に続いて、「日本共産党が果たすべき役割は、世界的にもきわめて大きい」と強調しています。
いまの世界の運動の状況を見ますと、世界の共産党には、ソ連依存主義が実践の面でも理論の面でも強かったために、ソ連の崩壊とともに、多くの共産党が解体したり、弱体化したりしました。中国の毛沢東時代の覇権主義による武装闘争の押し付けが、アジアを中心に、共産党の運動に深刻な打撃を与えたことも指摘しなければなりません。
一方で、世界の資本主義の危機が深まるもとで、資本主義を乗り越えようという運動、「社会主義」をめざす新しい運動が、さまざまな形で生まれています。
こうした世界的状況のもとで、あらゆる覇権主義とたたかい、自主独立の道をつらぬき、理論と実践を鍛え上げてきた日本共産党が、発達した資本主義国での社会変革において、世界的にもきわめて重要な位置に押し出されていることは、疑いがありません。
そういう世界的・歴史的位置にある党であることを深く自覚して、党綱領が示す多数者革命の道を、自信をもって前進しようではありませんか。
「特別の困難性」を突破した先には、前人未到の「豊かで壮大な可能性」をもつ未来が
改定綱領に明記したように、発達した資本主義国での変革の道は、「特別の困難性」とともに、「豊かで壮大な可能性」をもった事業です。
国民の苦難に心をよせ、国民とともに苦難を一つひとつ解決しながら、強く大きな党をつくり、この党が一翼を担う強大な統一戦線を築き上げようではありませんか。それは不屈性と忍耐強さを必要とする道ですが、「特別の困難性」を突破した先には、前人未到の「豊かで壮大な可能性」をもった未来が開けてきます。こういう大展望をもって奮闘しようではありませんか。
「綱領で党をつくろう」――これを合言葉にして、党員を増やし、「しんぶん赤旗」読者を増やし、強く大きな党をつくる仕事に、新たな決意とロマンをもって取り組むことを、最後に訴えまして、講義を終わります。
(おわり)