2020年3月24日(火)
再開へ 教職員、喜びと悩みと
“子どもいてこその学校”
学校現場に混乱と不安を招いた一律休校要請。子どものいない学校に打ちのめされた教職員。「今度こそ、本当に子どもたちのための学校として再開させたい」と立ち上がっています。(堤由紀子)
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「2週間ぶりの学校で、子どもたちのテンションがとても高くて、うれしそうでした」
臨時休校措置を解除し、16日に学校を再開させた静岡市。その初日の様子を、中学校教員の浅井義男さん(仮名)はこう話します。
休校中にジョギングなどで体を動かした子どももいましたが、多くはゲームやスマホ漬け。「宿題は提出されましたけど、まあ予想通りですね(笑い)」
感染対策を徹底
マスク着用、アルコール消毒、こまめな換気など休校前からの対策を徹底。教育委員会からは▽基本的に授業は午前で終わり、どんなに遅くても5時間までにすること▽全校生徒を集めるようなことはしない―の2点の通達がありました。「再開する自治体はまだ少数派。『とにかく万全の対策をしている』と見せなきゃいけないというプレッシャーが、市にはあるようです」
休校中、事務処理は一気に進みました。「でも、子どものいない学校は楽しくない」と浅井さん。「換気の仕方一つとっても、確かな情報がなく対応がエスカレートしてしまう。来年度の行事をどうするかの判断も迫られているので、こんな対応なら大丈夫という情報がほしいです」
卒業式は工夫を凝らして実施されています。しかし、教職員の異動を知らせる離任式は軒並み取りやめに。
「子どもたちとどうお別れをすればいいか、悩むところです」
こう話すのは、3月に退職する小学校特別支援学級の教員、川野浩輔さん(仮名)です。一人一人に手紙で思いを伝えることも難しい子どもがいるため、これまでの写真を選んでCDにまとめて渡そうと考えています。
校庭走る姿見て
一律休校要請当初、教職員はかつてない対応に追われました。しかし、2週間もすればさまざまな事務処理も一段落。「少し気持ちに余裕が出てきて、子どもの受け入れの対応も柔軟になってきたんです」と川野さん。禁止されていた受け入れ時の校庭使用もOKに。「走り回る子どもたちは本当にいい顔をしていました。ストレスがすごくたまっていた教職員も、一緒になって遊んでいましたよ」
休校中、「子どもがいてこその学校なんだと痛感した」と言います。「今までにない異常事態の中で『学校って何だろう』って、みんなが考え始めている。この思いの寄せ合いを大切にしたいです」
知恵寄せ合った数週間
子どものための学校づくりを
安倍首相による一律休校要請よりも前から、休校していた北海道。当初は5日から再開する予定でしたが、引き続き春休みまで休校が延長されました。
「教職員や管理職、教育委員会で、知恵を寄せ合った数週間でした。学校再開はかないませんでしたが、この体験を今後の学校づくりに生かしたい」
信頼築いて
こう話すのは道内の中学校教員、江尻崇さん(仮名)です。道教育委員会の決定で、全国より一足早く2月27日からの一律休校を実施。「すごく悔しくて、気持ちが高ぶっていた」と振り返ります。日がたつにつれ、一番大事なのは子どもたちの心が安定していることではないか、と思い始めました。「誰もが納得できるような手順をふまえた論議があって今がある、となれば、子どもも納得してくれるだろう」と考えたのです。
以前から校長や教育長との信頼関係を少しずつ築いてきました。卒業式をどんな形で実施するか、学校を再開するかどうかなど「教職員や保護者の意見を聞いて、ゆっくり判断してほしい」と申し入れ。教育長は「すぐに決断しないでいこう」と答えたといいます。
家庭訪問の実施に対しても、校長は最初は慎重な姿勢でした。しかし、地域には感染者はおらず、消毒を徹底すれば「直接、顔を見た方がいいよね」。必要なところは訪問することになりました。
14日、卒業式。さまざまな制約はありましたが、「校歌を歌うことは大事だね」と校長は柔軟に対応してくれました。「世の流れに追随するのではなく、子どもの最善を考えたらどうすべきなのか、とみんなで考え得る策を出し合いました」
保護者からは「とても温かな式でした」と感謝の声が。「子どもも決して納得はしていないとは思いますが、気持ちは伝わったのではないでしょうか」
そして、24日は修了式。受け持った子どもたちと会える最後の日となりました。
長い間、子どもと離れざるを得なかった経験。「これを、成長に向けてどうプラスにしていくか考えたい」と江尻さん。「ちょっと背が伸びたかなとか、声変わりをしただろうなとか。そんな小さな変化を大切にしながら、最後の一日の50分を充実させたいです」
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困難な子に
兵庫県西宮市の小学校では、“どうしても家庭で世話ができない”1年生から3年生を受け入れています。朝8時半から午後3時まで、弁当持参で。
「4年生以上は、家庭の自己責任。3年生以下でも、弁当を準備してもらえない子は来られない」
こう話すのは、小学校教員の女性です。どんな子も通えるのが公立の学校なのに、条件が付けば一番困難な子が排除されてしまう。仕事のない親と学校のない子どもが狭い家に閉じ込められると、虐待、養育放棄なども心配になる、と言います。
「でも、そこだけ家庭訪問となると追い詰めてしまうのでは、と二の足を踏む」と。「学校があれば『忘れ物持ってきたよ』とか『お手紙届けに来たよ』とか言って見守ることができる。福祉の入り口になっているはず。だからとても心配です」
地域を見回っていると、市長の方針もあって公園は子どもたちでいっぱいです。そこでひらめいたのが、学校と家庭という“タテ関係”ではなく、子ども同士の横の関係を使った接近でした。
「ねえねえ、○○ちゃんどうしてるか知ってる?」「全然会ってないからメールしてみる」…。「先生が心配してたよ、と友達が伝えてくれたら、ヘルプも出しやすいかなと思った」と話します。
もう一つの心配が、再開される学校の中身のこと。休校をへて、春休みが過ぎて新学期に入る。女性は「いきなり学校を取り上げられ、また、いきなり楽しくない学力テスト体制の学校が立ち上がったら、生活をくずされた子はそのまま引きこもってしまわないだろうか」と言います。
休校になってただ一つ良かったと思うこと。それは、教職員が集まって子どもの話をする場と時間があったことでした。卒業式の飾りつけも教職員だけでしました。子どもの作品をみんなでかざっていると「これ作った子は最初、のりにも触れなかったのに、一生懸命作ったんよ」と担任が話しだす。そんな繰り返しの中で、みんなが「ああ、子どもたちに会いたい」という気持ちを確認しました。
「『学校に来られて、うれしい!』。そんな学校にして子どもに返す。そういう覚悟を決めて、私たちは学校づくりを進めなければ」