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2020年3月17日(火)

主張

相模原事件判決

命に優劣つける社会を許さず

 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件の判決がありました。横浜地裁は、殺人などの罪に問われた同園元職員・植松聖被告に求刑通り死刑を言い渡しました。刑事事件の裁判として一つの結論は出ましたが、なぜ被告が障害者に一方的な憎悪を募らせ、残虐極まる犯行に及んだかなどの背景は解明が尽くされたとは言えません。障害者を差別し、命に優劣をつける誤った風潮が根強く存在する社会の中で、この事件が突き付けた深刻な課題を問い続けていくことが、一層重要になっています。

思考形成の背景見えず

 2016年7月26日未明、植松被告はやまゆり園に侵入し障害の重い人ばかり狙って次々と刃物で襲いました。多くの人の心を凍らせたのは、残忍な手口というだけではありません。「障害者は不幸を作ることしかできない」という言動をしていたことが、さらに衝撃として広がり、とりわけ障害者と家族に恐怖を与えました。

 許し難い被告の考えは、犯行前に衆院議長公邸に持参した手紙に「私は障害者を抹殺できる」などと克明に記されていました。ゆがんだ障害者観が、被告の中で強固に形づくられてきたものだったことを浮き彫りにしています。

 被告の主張は、人に優劣をつけ、“劣った人の命”は奪っても構わないという、あからさまな「優生思想」に他なりません。この思想に基づき、第2次大戦前のナチス・ドイツ政権が障害者を計画的に殺害したおぞましい過去を想起した人も少なくありません。

 裁判でも被告は、障害者を敵視する自説を繰り返しました。遺族や被害者の家族などに対しても、根本的な反省も、心からの謝罪もありません。被告の思考形成の過程などについても突っ込んだ解明はされませんでした。当初は意欲をもってやまゆり園に勤務したとされる被告が、どのように障害者への差別・偏見を強め、「大量殺人」を実行するまで変わっていったのか不明点が残されたままです。

 裁判に注目してきた多くの障害者は、事件の背景と日本社会との関係について深い検証がされなかった問題を指摘します。被告の障害者観は、個人の尊厳などよりも「生産性・経済的効率性」に“価値”を置く考え方と相通じるものがあるからです。貧困に苦しむ人に努力が足りないと「自己責任」を迫り、障害者や高齢者に社会保障費がかさむと「お荷物扱い」する―。社会の底流に残る差別と偏見、排除の考えが、被告の障害者に対する理不尽な憎悪を増幅させたことと無縁とは言えません。悲劇を繰り返さないために、誤った風潮の台頭と広がりを許さないことがいよいよ必要です。

悲劇繰り返さぬために

 自民党衆院議員がLGBT(性的少数者)カップルに「生産性がない」と心無い言葉を投げつけ大問題になるなど政治の分野で差別と偏見を一掃する課題は、極めて重要です。社会的弱者や少数者を敵視・排除する社会に未来はありません。障害がある人もない人も、人権と個人の尊厳が保障される政治・社会の実現が急がれます。

 「被告のような考えの人が社会に生まれないように」。裁判で意見陳述した被害者の家族の言葉を、いま真剣に受け止める時です。


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