2020年3月9日(月)
主張
戦後75年と大空襲
被害者の放置はもう許されぬ
一夜で約10万人の命が奪われた東京大空襲からあすで75年です。アジア・太平洋戦争末期の1945年3月10日未明、約300機の米軍B29爆撃機が東京・下町地区に大量の焼夷(しょうい)弾を投下しました。米軍はこれを皮切りに名古屋、大阪、神戸を立て続けに攻撃し、都市そのものを焼き払う無差別爆撃を開始しました。空襲で多くの市民が殺傷されました。日本政府は自ら始めた戦争で民間人に甚大な被害を与えながら、戦後一言の謝罪も補償もしていません。高齢化する被害者に時間はありません。国は空襲犠牲者の人権回復へ、早急に救済措置をとるべきです。
戦争被害者を差別する国
日本軍は日中戦争で、中国の重慶に無差別爆撃を行いました(38~44年)。重慶爆撃も米軍による日本各地への空襲も、国際法違反です。加害国の非人道的な行為は許されません。同時に日本政府には、国内の被害を拡大させた責任があります。
当時の政府は防空法制で「空襲から逃げるな、火を消せ」と、国民に退去禁止と消火義務を命じました。戦争を遂行するため、「空襲は怖くない、逃げる必要はない」と偽りの情報を流して統制しました。空襲被害者が国に謝罪と賠償を求めた大阪訴訟で、大阪地裁と同高裁の判決は、防空法制や情報統制という政府の政策によって国民が危険な状態に置かれた事実を認めました。判決はいずれも原告の請求を認めませんでしたが、政府は司法が認定した国策の過ちに真摯(しんし)に向き合うべきです。
多数の市民が火の海を逃げまどい、熱風と炎に巻かれて焼死しました。かろうじて命が助かった人も心身に深い傷を負いました。しかし政府は戦後、民間空襲被害者の苦しみに目を向けず、「国との雇用関係がない」「戦災は等しく受忍すべきだ」と切り捨て、救済を放置しました。元軍人・軍属のみを補償し、同じ戦争の被害者を差別する国のやり方に道理はありません。日本と同じ敗戦国のドイツは、戦争で犠牲になった軍人と民間人を区別せずに補償しています。
終戦までに全国約400の市町村が米軍の空襲や艦砲射撃を受けました。いたるところが戦火に見舞われたのです。戦後生まれが総人口の80%を超え、凄惨(せいさん)な戦争の姿を身をもって知る人は少なくなっています。空襲で身体障害を負った被害者は「焼夷弾や爆弾で手足を『失った』のではない。『奪われた』のだ」と訴えます。孤児や遺族は「親きょうだいを『亡くした』のではなく、『殺された』のだ」と声を上げています。体験者の証言を、次の世代に語り継ぐ取り組みを強めることが不可欠です。
再び戦争を起こさせない
野党提案の援護法案は国会で過去14回すべて廃案になりました。全国空襲被害者連絡協議会は、政府と国会に救済法の制定を強く求めています。同会は▽空襲や地上戦の民間死傷者や孤児になった被害者への援護措置▽被害の実態調査▽追悼施設の整備―を速やかに進めるよう提案しています。
「再び戦争を起こさせてはならない。誰も私たちと同じ目に遭わせてはならない」。被害者の願いに応えるため、国には事実を認めて謝罪し、補償する責任があります。空襲被害者の怒りと悲しみに耳を傾け、被害者が納得のいく解決を急ぐべきです。