2019年10月18日(金)
きょうの潮流
10月、秋の修学旅行シーズン。小中学生や高校生でにぎわう長崎市の平和公園を訪ねました▼原爆投下の傷痕が残り、多くの追悼碑が並び被爆の実相を知る絶好の場です。公園を囲むように黒く古びた壁がわずかに残っています。戦前・戦中ここにあった長崎刑務所浦上刑務支所の外壁です▼死刑場がある刑務支所にいた受刑者・刑事被告人81人が1945年8月9日、爆死しました。中国人32人、日本人36人~33人、朝鮮人13人~16人が、犠牲になりました▼「日本の侵略戦争と植民地支配に反対し、強制連行され、強制労働に抵抗した人たちです。日本の加害責任を抜きに原爆は語れない」。こう話すのは「長崎の証言の会」会員で、平和ガイドを務める元教員の森口正彦さんです。「日本人と朝鮮人の犠牲者数が概数なのはなぜか」と生徒たちに必ず問いかけるといいます▼爆心地公園にある「長崎原爆朝鮮人犠牲者」の追悼碑前では、手作りの説明文で概数の答えのヒントを。「韓国併合条約(1910年)で韓国統治後日本が行った政策は、皇民化政策(国籍のはく奪)、日本語の強要(朝鮮語の禁止)、創氏改名(日本人の氏名に変更)などだ」▼強制連行・強制労働させられた朝鮮人は長崎市周辺に約3万数千人。原爆で約2万人が被爆し、約1万人が爆死しました。碑文には「強制労働の果てに遂に悲惨な原爆死にいたらしめた戦争責任をおわびする」。長崎は、若い世代と日本の加害と被害の歴史を未来に生かす平和教育の場です。