2019年9月18日(水)
いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態 番外編
日本メディアはどう伝えてきたか
日韓関係の深刻な悪化が続く中、メディアの異様な報道が目立ちます。TVをつければワイドショーが嫌韓・反韓をあおる、週刊誌を開けば「韓国なんて要らない」「ソウルは3日で占領できる」などという物騒な活字が目を奪う…。こんな無残な姿を見るにつけ、メディアのあり方が問われます。戦前、戦後を通じて、朝鮮植民地支配にどう対応してきたか、検証します。
(近藤正男)
今日のメディアの異常な姿が始まったのは、昨年秋の韓国大法院(最高裁判所)による「徴用工」裁判での判決がきっかけです。日本の植民地支配の不法性と反人道的行為を正面から問うた判決に対し、安倍政権は「解決済み」「国際法違反」などと居丈高に判決を拒否し、韓国政府批判を開始しました。これと同一歩調をとるように、日本のメディアもまた、「両国関係を長年安定させてきた基盤を損ねる不当な判決」(「読売」)、「日韓関係の前提覆す」(「朝日」)などと一斉に判決と韓国政府を批判するキャンペーンを展開しました。
戦前の朝鮮報道
国家と一体に差別・抑圧
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徴用工問題は侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題です。日本政府や当該企業はこれら被害者に明確な謝罪や反省を表明していません。被害者の名誉と尊厳の回復という立場から日韓双方が冷静に話し合うことが求められているときに、日本のメディアは政権の強硬姿勢に同調し、解決の糸口を探すのではなく対決をあおるような報道に走っているのです。その根底にあるのは、「韓国併合」に始まる朝鮮植民地支配にどういう態度をとったかという問題です。
戦前の主要メディアによる朝鮮報道の特徴は、植民地支配への批判的視点を欠くだけでなく、国家権力と一体となって朝鮮人差別・抑圧の片棒を担いだことです。
1910年8月の「韓国併合条約」は、日本が韓国に対し軍事的強圧によって一方的に押し付けた不法・不当な条約です。ところが併合に際し日本の主要メディアで反対を主張したものはありませんでした。逆に、古来、日本と朝鮮は同祖同根だったとか、朝鮮王朝の悪政で朝鮮独立が不可能になった、日本の天皇が朝鮮人の幸福増進に手を差し伸べるもの、などといった身勝手な併合正当化論を展開しました。
この時期の有力新聞、総合雑誌の社説・論説のすべてが韓国併合を美化し、こじつけ議論で併合を正当化した―当時の新聞雑誌の論調を精査した歴史学者の姜東鎮元筑波大学教授は指摘します(『日本言論界と朝鮮』法政大学出版局)。メディアが作り上げた「世論」は併合の侵略的本質を隠しただけではありません。韓国併合は朝鮮人にとっても善政を施したという誤った認識を日本人の間に持ち込み、今日も強く残る植民地正当化の居直り・無反省の原点になっています。
天皇制政府による強圧と専制にたいし、韓国・朝鮮人民の怒りが噴き上がったのが、1919年の「三・一運動」に示される一大独立闘争です。日本の新聞はこれをどう報じたか。「日本では、大部分の新聞は政府や軍部の発表に基いて三・一運動を報道した。したがって、朝鮮民衆を『暴徒』『暴民』視するのが一般的であった」と歴史学者の趙景達氏はいいます。(岩波新書『植民地朝鮮と日本』)
三・一運動の参加者を「暴徒」「不逞(ふてい)鮮人」「土民」などと呼び、朝鮮人に対する恐怖や敵対心を日本人に植え込むことになりました。権力と一体となったメディアの朝鮮報道の行き着いた先が、1923年9月、関東大震災での朝鮮人虐殺の悲劇でした。
戦後も批判欠く姿勢
非を認めない政府を擁護
植民地支配への批判的視点を欠いた日本のメディアの姿勢は、戦後も続きます。
1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、植民地朝鮮を解放しました。しかし、日本政府はその直後から、過去の非を認めず、朝鮮支配は正しかった、日本はいいこともしたという態度を打ち出しました。戦後一貫した日本政府の基本的立場です。これが端的に表れたのが、1950~60年代にかけての日韓国交正常化交渉における、いわゆる「久保田発言」「高杉発言」でした。
「日本は朝鮮に鉄道、港湾、農地を造った」「多い年で二〇〇〇万円も持ち出していた」。53年10月、日韓会談が長期にわたり中断する原因となった第三次会談の日本側首席代表、久保田貫一郎の発言です。韓国側の激しい反発にあい、会談決裂、中断したのは当然です。ところが、日本のメディアは久保田発言を批判するどころか、「ささたる言辞」「韓国の不条理な威嚇には屈しない」「朝鮮統治には功罪両面がある」などと発言を擁護しました。当時の新聞論調について研究者は「全新聞が韓国に非があるという認識であった」と分析しています。
「日本は朝鮮を支配したというけれども、わが国はいいことをしようとした」「それは搾取とか圧迫とかいったものではない」。交渉最終盤の65年1月、第七次会談首席代表の高杉晋一による妄言は、交渉決着への影響を懸念した日韓両政府によってオフレコ扱いとされ、日本の商業メディアは取材しながら黙殺しました。
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同年6月、日韓条約は日本政府が植民地支配の不法性を認めようとしないなか、歴史問題が未決着のまま締結されましたが、この視点から日韓条約・諸協定を批判する日本のメディアはありませんでした。朝日新聞「検証・昭和報道」取材班は、条約調印を受けての自社社説について「…しかし植民地支配に対する日本の責任には触れていない」と指摘しています。(朝日文庫『新聞と「昭和」』)
植民地支配への批判的視点を欠いた日本のメディアの弱点は、その後も日韓間で問題が起きるたびに表面化します。戦後70年に当たっての安倍首相談話でもその体質が現れます。この談話で首相は、暴力と軍事的強圧で朝鮮半島の植民地化をすすめた日露戦争を「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と賛美しました。歴史を乱暴にねじ曲げ、植民地支配への反省どころか韓国併合そのものの美化・合理化にほかなりません。
しかし、日本の主要メディアは、村山談話の否定・後退を批判的に論じたものはあったとしても、韓国・朝鮮人民への配慮を欠いた日露戦争美化・礼賛に言及し正面から批判するものはありませんでした。
異常報道過熱に懸念も
冷静議論へ問われる姿勢
今日、異常報道が過熱したのは、安倍政権が徴用工判決への対抗措置として、対韓貿易規制の拡大という政経分離の原則に反する“禁じ手”を強行したためです。ここでも日本のメディアは、被害者の名誉と尊厳を回復する責任を放棄した安倍政権の問題には目を向けず、「文政権は信頼に足る行動とれ」「発端は徴用工判決にある」などとの対韓批判を続けています。
その一方で、メディアの無残な姿を懸念し、他国への憎悪や差別をあおる報道はやめようという世論も広がっています。新聞労連が、戦前の過ちを繰り返さない、かつて商業主義でナショナリズムをあおり立てた「報道の罪」を忘れてはならないとし、「今こそ『嫌韓』あおり報道と決別しよう」と訴えたことは、その表れです。歴史の真実に向き合い冷静な議論への役割を果たせるか、いまメディアも問われています。