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2019年2月27日(水)

三・一独立運動から100年

日本のメディアはどう伝えてきたか

問われる植民地支配への態度

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(写真)三・一記念日の取り組みを呼びかける戦前の「赤旗」。左は31年3月1日付。関東大震災での朝鮮人虐殺を「日本プロレタリアートは最も恥づべき頁として記憶しなければならぬ」と明記。右は32年3月2日付。

 三・一独立運動から100年、この運動は「韓国併合」で植民地化した天皇制政府に対する痛烈な回答でした。「朝鮮は独立国」「朝鮮人は自由民」と宣言書が高らかにうたったように、全国で200万余が参加する朝鮮独立の意思を全世界に届けるたたかいでした。

独立支持は皆無

 朝鮮を植民地下においた1910年の韓国併合条約は、日本が軍事的強圧のもとに押しつけた不当・不法な条約です。これにより民族の尊厳を踏みにじられ、土地・財産を奪われ、くらしと命の危険にまでさらされた朝鮮・韓国の民衆が植民地化に抗議し、独立と解放を求める思いを爆発させたものでした。

 この当然の行動を日本のメディアはどう伝えたか。歴史学者の姜東鎮氏(元筑波大学教授)は指摘しています。「ほとんどの有力紙がこの事件を大きくとりあげているものの、朝鮮独立に支持ないし同調を示した新聞は皆無であった」。しかも、日本政府が朝鮮総督府、軍隊に命じ民衆の鎮圧に乗り出すと、これと一体となって「暴徒」「不逞(ふてい)鮮人」「暴動」と行動を敵視し、朝鮮人への恐怖、偏見をあおる報道に終始しました。こうした意図的な報道の行きついた先の一つが、1923年9月の関東大震災での朝鮮人虐殺の悲劇でした。

 権力とメディアが一体となって作り上げられた民族迫害の野蛮な風潮に対し、朝鮮への同情を口にする知識人はいても、三・一運動に示された朝鮮独立要求の正当性を正面から論じる政党・メディアは当時ありませんでした。それは、1922年、植民地の完全独立を正面からかかげる日本共産党が誕生し、1928年に「赤旗(せっき)」が創刊されたことで初めて実現しました。

 「赤旗」は創刊以来、「朝鮮独立闘争への連帯」を訴え、とくに三・一運動を記念する「三・一闘争」とともに、韓国・朝鮮人民が「国恥記念日」と呼ぶ韓国併合を強行した日を記念する「八・二九闘争」を重要な任務として毎年のように呼びかけてきました。なかでも1931年3月1日付掲載の「三・一記念日」と題する論評は、関東大震災で多数の朝鮮人が虐殺された歴史についてふれ、日本の労働者階級にとって「最も恥づべき頁として記憶しなければならぬ」「我々日本のプロレタリアートはこの時の恥を雪(そそ)がねばならぬ」と朝鮮人民との連帯を表明し、今日につながる重要な行動提起となっています。

 朝鮮植民地化は適法だった、併合条約は合法的に結ばれた、韓国併合は正当だった―。日本政府は戦後も植民地支配を正当化し、いまだにその清算に背を向け続けています。日韓条約締結後50年以上もたつのに問題が噴出するのも、ここに根本問題があります。

対決あおる報道

 植民地支配への批判的視点を欠いたままという点では、日本のメディアもまた同罪です。戦前は国家権力と一体となって朝鮮人蔑視・抑圧の片棒を担ぎ、戦後はその反省もなく、植民地支配の清算に背を向ける日本政府に同調する報道を展開してきました。

 ことが韓国・朝鮮半島がらみになると、テレビも新聞各紙も歩調を合わせたように、居丈高に、口を極めて批判キャンペーンを展開する。その端的な表れが昨年の韓国最高裁判所による徴用工判決をめぐる事態でした。

 徴用工―戦時強制動員問題は、日本の侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題であり、日本政府も当該企業もこれらの被害者への明確な謝罪や反省を表明していません。

 問題解決に向け被害者の尊厳と名誉の回復という立場から日韓双方が冷静に話し合うことが求められているときに、日本のメディアは安倍政権の対韓強硬姿勢に同調し、解決の糸口を探るのではなく対決をあおるような報道に終始したのです。連日の異様な韓国批判キャンペーンはどこに行きつくことになるのか、痛恨の歴史が教えているところです。

 「朝鮮半島支配への謝罪と賠償という『過去の清算』」がなぜ必要か。歴史学者の姜萬吉氏(高麗大学名誉教授)はかつて本紙インタビューで次のように強調しました。「『植民地支配は合法的であった』と強弁するなら、三十五年間の民族解放運動は不法なものだったことになります。ある一つの民族の解放運動を『反逆行為』だとしておいて、その民族と仲良くなれるはずがありません」(「赤旗」00年8月21日付)

 三・一運動は、日本の植民地支配に抵抗し独立をめざした朝鮮民族の誇りあるたたかい最大の象徴です。それから100年、いまだに未清算のままでいいのか。いまこそ歴史に誠実に向き合い未来への教訓とする立場にたてるかどうか、メディアも問われています。(近藤正男)


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