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2019年1月31日(木)

ホロコースト追悼

国連本部の式典 生存者が証言

名前すら奪われ 虐殺繰り返さぬ

 第2次世界大戦でナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の現場となったアウシュビッツ強制収容所が連合軍によって解放された1月27日を記念し、国連本部で28日、「ホロコースト追悼式典」が開かれました。(鎌塚由美)

 総会議場で行われた式典には、グテレス国連事務総長はじめ各国の外交官や、第2次世界大戦に参戦した退役軍人らも参加。ホロコーストの生存者が当時の状況を証言し、人間の尊厳を奪った悲劇を繰り返してはならないと訴えました。

虫のような扱い

 ポーランド・ワルシャワにあるポーランド系ユダヤ人の歴史博物館の理事長でもあるマリアン・トゥルスキーさん(92)は、アウシュビッツ強制収容所で過ごした当時の心理状況について「自分には名前も、何もないと感じた。あるのは体に入れ墨でいれられた数字だけだった」と語りました。強制収容所の生活で最もつらかったのは、極度の空腹や寒さや生活環境の悪化よりも、「ユダヤ人だからという屈辱だった」と回想。「人間ではなく、シラミや南京虫、ゴキブリのように扱われた」と尊厳が奪われた体験を語りました。

子どもを守って

 トゥルスキーさんは、ウクライナ、スーダン、イエメンなどで続く現代の紛争にも言及。今も続く大惨事から「子どもたちを守らなければならない」と訴えました。

 現在のチェコの首都プラハ北方にあったテレジン強制収容所から74年前の1月27日に解放されたインゲ・アーウワーバッハーさんは、ドイツで生まれ、7歳から10歳までの3年間を同収容所で過ごしました。飢えていた子どもたちにとって「一番大事な言葉は、ジャガイモ、パンとスープ」でした。同収容所では、1万5000人の子どものうち生き残ったのはわずか150人でした。

 反ユダヤ主義が再び台頭する今日の状況に触れたアーウワーバッハーさん。人々は「賢明な選択をしなければならない」と訴え、「私の希望、願い、祈りは、すべての子どもたちが飢餓や偏見なく平和に生きられることです。憎悪に対する対抗手段は、教育です」と語りました。「大虐殺、反ユダヤ主義を二度と繰り返さないで」と締めくくりました。


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