2019年1月1日(火)
「気候巡礼」1500キロ
“気温抑えよう”7カ国で交流
バチカンからカトウィツェまで
猛烈な台風や豪雨、洪水、干ばつ、山火事―。気候変動の被害が年々深刻化するなかで、緊急な行動を訴え、昨年10月から約2カ月間かけ1500キロを歩き通した人たちがいます。欧州のバチカンからポーランド南部の都市カトウィツェまで7カ国を通過した「気候巡礼」と名付けた旅です。
(イミェリン〈ポーランド南部〉=伊藤寿庸 写真も)
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巡礼の「通し行進者」はアジアや欧州などから集まった8人です。米国人ベレニス・トンプキンスさん(23)もその一人。ニューヨークでホームレスのために活動するソーシャルワーカーです。
15歳の時目覚め
「この問題に目覚めたのは15歳の時。バングラデシュで気候変動によって土地を失った人たちが、首都ダッカのスラムに住んでいることを知りました。飢餓や戦争による苦しみの大本に気候変動があると感じたのです」
2014年にロサンゼルスからワシントンまで8カ月かけて米大陸を横断した「気候行進」にも参加。トランプ大統領のように、人間が引き起こした気候変動を信じない人々とも対話しましたが、「気候変動の被災者の体験には親身になって耳を傾けてくれた」と振り返ります。
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巡礼はカトウィツェで12月に開かれた国連気候変動枠組み条約第24回締約国会議(COP24)に向けた取り組み。行く先々で、市長との面会や学校での交流、教会での集会をおこない、メディアの注目を集めました。
巡礼最終盤で訪れたカトウィツェ南東20キロの小さな市イミェリン。夕方になると家々の煙突が煙を吐き出し、強い臭気が漂います。ここシロンスク(シュレジェン)地方は産炭地で、多くの家がまだ暖房に石炭を使っています。
市長が一行激励
ヤン・フウィエンダチ市長が到着した巡礼の一行を激励。「問題の重要さは、皆さんが家々の煙突をご覧になった通りです。市として行動する責任があります」と話しました。
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イミェリンでは、炭鉱会社が市の地下の石炭層を掘り進める計画に、市長を先頭に市民が反対しています。地元の環境活動家が一行を出迎え、地球温暖化を進める石炭依存をやめようと連帯しました。
一行は市長主催の夕食会、教会のミサ、地元合唱団のコンサートに出席。一行のリーダー、フィリピンのイェブ・サニョ氏は「自然破壊は現代の罪だ」とのフランシスコ・ローマ法王の言葉を引いて、「ローマから歩いてきて、環境のために変化を起こす草の根の力を感じました」と聴衆に語りかけました。
イタリア巡礼中には、同国大手保険会社ゼネラリが、新規石炭事業からの撤退を発表。オーストリアでは、石炭火力発電に反対するファンデアベレン大統領も一緒に歩きました。
ケニア出身のフランシスコ会修道士ベネディクト・アヨディ氏は、「気候変動によってアフリカで多くの難民が生まれ、地中海を越えてヨーロッパに渡っている」と訴えました。イタリアでは、自らの旅と重ね合わせて巡礼に合流した難民もいました。
日本の国民平和大行進の通し行進も経験したフィリピンのA・G・サニョさん(43)も歩き通し、「ハイアン」(日本名・台風30号)の体験を語り広げました。
「私自身、台風が上陸した13年11月8日に(最大の被災地)タクロバンにいて、友人や愛する人を失いました。多くの人々が家族や親戚を亡くし、財産、人権を失いました。私たちは地球温暖化にほとんど貢献していないのに、こんな被害を受けるのは不正義です。政府や企業が責任を果たすべきです」
「決意は模範だ」
一行はCOP24で、巡礼中に寄せられた人々の思いが記されたリボンを、エスピノサ国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)事務局長に手渡し、会議での野心的な決定を要請。エスピノサ氏は「あなた方の取り組みと決意は模範だ」とたたえました。
巡礼を終えても、気温上昇を「1・5度」未満に抑え、「気候正義」を実現する旅は続きます。A・G・サニョさんは、母国で台風に強い学校を作るプロジェクトを進めながら、今年3月、米国の会議でフィリピンの課題を報告します。