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2018年6月28日(木)

「人生を返して」 強制不妊手術被害者

“まさか国策だったとは”

謝罪と補償求め提訴

 旧優生保護法のもと、国の政策で不妊手術を強制された被害者たちが、国に謝罪と補償を求めて裁判に立ち上がっています。東京都内の北三郎さん(75)=仮名=は手術から60年以上も胸の奥にしまってきた苦しみを、いま人前に出て訴えています。(岡素晴)


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(写真)今も亡き妻への自責の念にかられながら、仏壇に手を合わせる北さん=5月31日、東京都内

 「子どもができないばかりに、一人の女性を不幸にしてしまった。結婚しなければよかったと、そればかり思い続けて本当につらかった」。41年連れ添った妻に、北さんが不妊手術を受けたと打ち明けることができたのは5年前、骨髄性白血病を患った妻の臨終間際でした。

最期まで気遣い

 妻は夫の告白に何も言わず、「私がいなくなってもしっかりご飯を食べるんだよ」と最期まで気遣い、息を引き取ったといいます。

 20代で結婚後、周りから「まだ子どもはできないのか」と言われ続けたと振り返る北さん。口には出さないものの妻も子どもを望んでおり、仲むつまじい結婚生活の一方、罪悪感にさいなまれる日々でした。

 宮城県で生まれ育った北さんが手術を受けたのは中学2年ごろ。当時、父親への反抗心から学校内外で多くの問題行動を起こしたため、教護院(現在の児童自立支援施設)に入所させられていました。入所から1年もたたないある日、施設の担任に連れていかれたのが、のちに強制不妊手術専門の施設となる病院の産婦人科でした。医師の診察や説明を受けることなくベッドに寝かされ、看護師から局部麻酔の注射を打たれました。

 手術が終わって1週間近く、「腰が立たず、トイレにもはって行って用を足さなければならなかった」ほどの激痛が続きました。約1カ月後、先輩からの話で不妊手術だったと知ることに。北さんは、施設入所者で自分以外に手術を受けさせられた人が3人いたと記憶しています。

語るきっかけに

 転機は今年1月、宮城県の不妊手術被害者の女性が全国で初めて裁判に立ち上がったことを報道で知ったときでした。「自分が受けた手術と同じだ。苦しみの原因がまさか国の政策だったとは」と衝撃を受け、北さんは全国一斉電話相談窓口に連絡。被害者を支援する弁護団に相談し、手術について調べてみようと思い立ちました。

 手術の記録が残っていないか宮城県に開示請求。記録は廃棄し、存在しないとの回答でしたが、3月に左右そけい部に残った手術痕を産婦人科医師に見せたところ、不妊手術によるもので間違いないと診断を受けました。

 北さんは自身が名乗り出ることで、同じく手術の公的な記録のない多くの人たちが真実を語るきっかけになればと決意。東京地裁に5月、提訴しました。

 裁判は、手術を推進してきたにもかかわらず、「当時は適法だった」として、被害者の人権救済の求めに応じようとしない国の姿勢を正すたたかいでもあります。「苦しみ続けた人生を返してもらいたい。それが無理なら、国は誤った政策を認め、謝罪してほしい」

 強制不妊手術をめぐっては、28日にも北海道と熊本県に住む男女4人が国に損害賠償を求め、札幌・熊本両地裁に一斉提訴します。


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