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2018年5月3日(木)

9条の心 石に刻む

全国に18カ所 安倍内閣後に建立広がる

 3日は憲法記念日。「戦争放棄」「戦力不保持」をうたった憲法9条の条文を、石に刻んで後世に伝えようとする人たち…。憲法9条の石碑が全国で少なくとも18あることが分かりました。沖縄県七つ、石川県三つ、長野県二つ、茨城県二つ、岐阜県、静岡県、岡山県、広島県がそれぞれ一つ。石碑の半分は、改憲の動きが加速した第1次安倍晋三内閣発足(2006年9月)以降に建立。「今こそ9条守れ」の思いが深く刻まれています。


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(写真)沖縄県大宜味村役場に建つ9条の碑

 「安倍政権の改憲の動きが慌ただしくなり、なんとしても辞めさせたいという思いで…」と語るのは、沖縄県の大宜味村(おおぎみそん)9条を守る会の平良啓子世話人代表です。県北部の大宜味村の役場敷地内に、県内で7番目の「日本国憲法 第九条の碑」がたったのは2017年12月です。

 芭蕉布(ばしょうふ)とシークワーサーの産地で知られる人口3000人の自治体の決意です。沖縄戦では南部から避難してきた県民や旧日本軍兵による飢餓、米軍の掃討作戦での巻き込まれによる死傷など悲惨な体験がありました。

 高さ約2メートルの碑には9条の1、2項全文が刻まれ、平和のシンボルのハトが9羽で「命(ぬち)どぅ宝」の文字をかこっています。碑の後ろには「憲法9条が永(なが)く守られ、平和な国際社会を構築する願いが込められている」と明記しています。

 石碑は昨年、宮城功光村長、平良さんを共同代表とする建立実行委員会がよびかけ、建設費は村民からの寄付など130万円で賄いました。

 平良さんは「大宜味も沖縄戦で多くの村民が死んでます。私も本土への疎開途中、アメリカの潜水艦に攻撃され沈没した対馬丸で奇跡的に生き残った一人です。今も海に沈んだ子どもたちの顔が忘れられません。役場の正面に建てた9条の碑は戦争放棄を固く誓った村民の強い思いです」と話しています。

戦争しない願い込め

9条の碑 沖縄県最多

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(写真)沖縄県那覇市の9条の碑

 「9条の碑」は全国で少なくとも18カ所ありますが、沖縄の7カ所は県単位としては最多です。

 しかも那覇市の9条の条文を刻んだ「恒久平和」碑は戦後40年の節目の1985年の憲法記念日の5月3日に建立され、行政が関わった碑としては全国初のものです。

 碑の建立を発案したのは84年まで務めた平良良松市長。当時、那覇市役所の総務係長として同市長を支えた真栄里泰山さんはこう振り返ります。「沖縄の『祖国復帰』(72年5月15日)にあたり平良市長は『本土で憲法がないがしろにされている』との危機感から、憲法の命をよみがえさせなければならない」

惨禍くり返さない

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(写真)沖縄県読谷村役場に建つ「9条の碑」

 親泊康晴市長(当時)はこの思いを受け継ぎ、台座にこう刻みました。「忌まわしい太平洋戦争の終結から40年の節目にあたり本市は憲法の目指す恒久平和主義が名実ともに定着し二度と戦争の惨禍が起こることのないよう祈念し、『平和都市なは』建設のシンボルとしてこの碑を建立する」

 読谷村役場入り口に建つ「9条の碑」は95年10月に山内徳信村長(当時)の「平和行政」の一環で実現しました。

 読谷村は、米軍が初めて沖縄に上陸、激しい地上戦に加え、「アメリカ兵に捕まれば虐殺される」として住民が「集団自決」で大量死したチビチリガマの悲惨な体験があります。戦後は米軍施政下で米軍による事件事故が絶えず、行政はこうした苦難の歴史と憲法9条の大切さを次代につなぐ「平和行政」に力を入れてきました。

 南風原町の「憲法九条の碑」は2007年の憲法記念日の5月3日に建立されました。碑建立期成会の「憲法九条を世界に広め平和を守る南風原町民の会」がよびかけ、町民の寄付で実現しました。

 碑が建てられているのは、沖縄戦で地上戦の激戦地となり、旧陸軍32軍の沖縄陸軍病院南風原壕群があり、「ひめゆり学徒」らが傷病日本兵の看病にあたり、数多くの犠牲を出した地域にあります。

大切さ問う時代に

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(写真)石川県旧鹿西町(現中能登町)の憲法第九条全文が刻まれた石碑(2004年当時)

 沖縄以外では、04年、石川県鹿島郡鹿西町(現中能登町)の元日本共産党町議、故杉本平治さんは、「日本国憲法第九条」と書かれた黒御影石(縦60センチ、横1メートル)に、9条全文が彫られた石碑を、自分の家の跡地に建立。「二度と悲惨な戦争を起こしてはならない。憲法9条を守ることを訴えたい」との思いからです。

 息子の満さん(57)は「結構、県外の人が見に来るんです。まさに9条の大切さが問われる時代になった。父が碑を建てたのも、大切さを地域社会に知らせていくため。その思いを引き継ぎ守っていきたい」といいます。

 茨城県下妻市の故安原菊夫さんは06年、「日中戦争で戦死した叔父の墓のそばに置けば9条の重みが伝わる」と、自分の家の墓のそばに個人で石碑を建てました。縦60センチ、横70センチの黒い泥板石に9条の全文が彫られています。

 安原さんは、初めて憲法9条を読んだとき「戦争をしない、武器を持たないと分かりやすく書いてあった。これでいい世の中になる」と小学校教員として子どもたちに憲法を教えました。安倍内閣の改憲の動きには非常に憤りを感じていたといいます。(井上拓大、遠藤寿人、原千拓、山本眞直)

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