2018年4月25日(水)
主張
日報が示す「戦場」
戦争法での活動さらに危険に
防衛省が先週ようやく公表した陸上自衛隊イラク派兵(2004~06年)の日報は、多くの欠落や黒塗りがある一方、その限られた記述だけでも、当時の政府が「非戦闘地域」の活動に限るとした説明と、実際の現地情勢が大きく乖離(かいり)していたことを浮き彫りにしています。イラク派兵が「殺し、殺される」事態と紙一重だった一端を示すものです。安倍晋三政権が15年9月に成立を強行した安保法制=戦争法は、「非戦闘地域」という制約さえ取り払いました。同法制の下、「戦闘地域」で活動する自衛隊が攻撃を受け、武力行使に乗り出す危険はいよいよ明白です。
自衛隊の自殺者29人
イラク派兵の根拠法・イラク特別措置法は、自衛隊が活動する「非戦闘地域」について、(1)「現に戦闘行為が行われておらず」(2)「そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」―という二つの条件を満たす地域と定義していました。しかし、実態はどうだったか。
06年1月22日の日報は、陸自部隊が派兵されたイラク・サマワの「治安情勢」として「15日以降、英軍、イラク警察に対する小火器射撃やRPG(対戦車弾)攻撃が連続して発生」し、21日には「英軍と武装勢力の銃撃戦」で死者2人、負傷者5人を出すなど「戦闘が拡大」したと記述しています。
05年6月23日の日報は、この日、陸自の高機動車が爆弾で被害を受けたことを詳しく報告し、「多国籍軍に対する攻撃の一環」との情報や、部隊長の「指導事項」として「ここはイラクなのだということを再認識し隊員にも徹底せよ」「隊員のアフター・ケアを重視せよ」との記述もあります。
サマワだけではありません。
06年4月14日の日報は、イラク・バスラに派遣された隊員の「日誌」として「最近2週間内に5回の(ロケット弾による)攻撃があり、1月からの合計も11回25発になった」とし、17日の日報では「『ドアの閉まる音』(着弾音に非常に似ている)にも反応するようになる」と書いています。
15年3月末現在、イラク派兵から帰国後に自殺した自衛隊員は29人に上ります。「非戦闘地域」での活動とはかけ離れた極めて危険な任務だったことを示しています。
安倍政権は日報を伏せ、イラク派兵のまともな検証もしないで安保法制=戦争法の成立を強行しました。
同法制は、武力を行使している米軍などに対する輸送や補給といった自衛隊の「後方支援」(兵たん)について「現に戦闘行為が行われている現場(戦闘現場)では実施しない」と規定しているだけです。「非戦闘地域」の定義のうち「そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」という二つ目の条件は削除されました。
戦闘現場―その瞬間に戦闘行為が行われている場所―でなければ、自衛隊の活動期間中に戦闘行為が行われる可能性があっても「後方支援」ができるのです。
廃止の必要性は明白
陸自のイラク派兵の名目は「人道復興支援」だったのに対し、安保法制は米軍への軍事支援が目的です。自衛隊がイラク派兵よりもいっそう危険な地域で、いっそう危険な任務に就くことになるのは明らかです。安保法制の廃止は緊急の課題です。