2018年4月17日(火)
サマワで「戦闘拡大」
イラク日報 435日分公表
防衛省 黒塗り多数 核心部分隠す
防衛省は16日、陸上自衛隊イラク派兵部隊が作成した「日報」のうち、これまでに見つかった435日分を公表しました。派兵の根拠になったイラク特措法では「非戦闘地域」で活動するとしていましたが、日報には、陸自の宿営地があったイラク南部サマワの治安情勢について、「戦闘が拡大」との文言が明記されていました。
公表されたのは、陸自がイラク南部サマワで活動していた2004~06年に作成された1万4929ページ。このうち06年1月22日付日報では、前日21日にサマワで治安維持活動を行っていた英軍車両に対して、反政府勢力の一つであるサドル派が射撃を開始し、「戦闘が拡大、イラク警察及びイラク陸軍が治安回復のために介入」「継続の可能性あり」と記されています。
また、05年8月21日、24日付にもサドル派などとの「戦闘」が記されています。
ただ、陸自の宿営地への迫撃砲弾・ロケット砲による攻撃が相次いだ04年分については、任務を開始した3月以降の分は3日分しかありません。黒塗りも多く、「戦場」の現実は断片的にしか浮かび上がっていません。
防衛省が09年7月に国会に提出した報告書によれば、迫撃砲やロケット砲の着弾や爆発音が少なくとも14回確認されています。陸自第1次派兵部隊の番匠幸一郎司令官はイラクでの活動について、「純然たる軍事作戦だった」(イラク復興支援活動行動史)と明言しています。
防衛省は航空自衛隊の日報も発見されたとして、今月6日に3日分を公表しましたが、今回、空自の新たな日報は公表されませんでした。
防衛省はイラク日報について、昨年2月20日、国会で「残っていないことを確認した」(稲田朋美防衛相=当時)と明言していましたが、陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)の教訓センター長らが同年3月27日に保管を確認。今年に入るまで防衛相らに報告がなく、小野寺五典防衛相がイラク日報の存在を公表したのは今月2日でした。こうした経緯について、防衛省は調査チームを設けていましたが、解明には時間がかかる見通しです。
小野寺氏は16日の記者会見で、日報に「戦闘」の文言が複数確認されたものの、「イラク特措法に基づく活動を行ったと認識している」と述べました。