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日本共産党

2018年3月14日(水)

主張

空襲被害者の救済

政府は責任を認め解決を急げ

 アジア・太平洋戦争末期、東京をはじめ名古屋や大阪など全国約400の市町村が、米軍の無差別爆撃で甚大な被害を受けました。約300機の米軍B29爆撃機が東京・下町地区に大量の焼夷(しょうい)弾を投下し、街ごと焼き払った1945年3月10日の東京大空襲は一夜で約10万人の命を奪いました。国が始めた戦争で筆舌に尽くせぬ体験をし、戦後も終わることのない苦難を強いられた民間の空襲被害者と遺族に、日本政府は謝罪も補償もしていません。被害者らは高齢化し、亡くなる方も少なくありません。国は自らの責任を認め、解決を急ぐべきです。

「もう待てない」の叫び

 アジア・太平洋戦争で日本は侵略した各地の住民に多大な犠牲と損害を与えましたが、日本の諸都市に対する米軍の無差別攻撃も激烈でした。それは広島・長崎への原爆投下で頂点に達しました。民間の空襲犠牲者は原爆犠牲者などを含め約50万人にのぼります。

 都市への無差別爆撃の本格的な始まりとされる日本軍の重慶爆撃(38~44年)、戦争末期の米軍の日本各地への空襲などは、いずれも国際法違反であることは明白です。同時に被害を拡大させた戦時下の日本政府の責任は重大です。政府は防空法制で「空襲から逃げるな、火を消せ」と命じました。また戦争遂行のため、「空襲は怖くない、逃げる必要はない」と偽りの情報を流し統制しました。

 そのため被害は広がり、多くの犠牲者を生みました。大阪空襲をめぐる国の責任を問う被害者の訴訟で大阪地裁と同高裁は、情報統制と防空法制という政府の政策によって国民が危険な状態に置かれたことを認める判決を出しました。原告への賠償は認めない判決でしたが、国は司法による事実認定を重く受けとめるべきです。

 戦後、政府は元軍人・軍属に補償する一方、民間の空襲被害者には「国との雇用関係がない」「戦災は等しく受忍すべきだ」として救済を放置してきました。爆撃で手足をもがれたり、大やけどでケロイドが残ったりして障害を負った被害者、肉親を殺され孤児になった遺族らは、国が戦争の犠牲者として認めないことで人間としての尊厳を傷つけられてきました。

 名古屋空襲で左目を失った杉山千佐子さんは72年、「全国戦災傷害者連絡会」を結成し、救済法の制定にとりくみました。同会は2010年、「全国空襲被害者連絡協議会」が発足した際に合流します。「なぜ憲法で平和、民主、人権尊重をうたう国で、こんな不条理が許されるのか」。被害者はこの思いで国に謝罪と救済を求めています。杉山さんは一昨年、101歳で亡くなりました。平均年齢が80歳を超え、被害者と遺族は「もう待てない」と切実な声を上げています。

再び戦争を起こさせない

 超党派による国会の空襲議員連盟は昨年4月、アジア・太平洋戦争中に空襲や艦砲射撃などで身体障害を負った生存者に一時金を支給するなどの空襲被害者救済法案の骨子素案をまとめました。素案には戦災孤児や精神障害を負った被害者らの実態調査や追悼施設の設置などが盛り込まれています。

 被害者の救済要求の根底には「再び戦争を起こさせない」という平和への強い願いがあります。政府と国会がこの叫びにこたえることが求められます。


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