2018年3月7日(水)
シリーズ憲法の基礎
「希求」 大江健三郎さんの指摘
憲法第9条1項は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」として、「戦争」の放棄に加え、「武力による威嚇又は武力の行使」を永久に放棄すると定めています。
そこにある「希求」という言葉。法的に特別の意味があるかと言えば、教科書では、戦争放棄の「動機」をあらわしたものと説明される程度です。
「九条の会」の呼びかけ人の一人で作家の大江健三郎さんは2004年7月の同会発足記念講演会で、この「希求」に特に注目して語りました。
大江さんは、「希求」という言葉には「自然な倫理観がにじみ出ている」とし、「これらがどういうときに書かれた文章であるか」に注意を促します。そして、新憲法を受け止めた日本人全体が、多数の戦争による死者たちへの思いとともにある時期だったと述べました。
「人間が身近に死者を受け止め、自分の死についても考えざるをえないときに、倫理的なものと正面から向かいあう」。大江さんはこう指摘しました。
日本が引き起こした戦争はアジアで2000万以上、国内でも300万以上の人々が犠牲となりました。戦死者の65%が補給を受けられない中で餓死し、広島・長崎では原爆で二十数万人が1945年中に亡くなりました。45年の日本人の平均寿命は男性で24歳に満たなかったというデータもあります。
大江さんは、多くの人の死に押し出されるように憲法をつくった日本人が「希求」した新しい社会を、未来に向け生きていく日本人が「自らの『希求』としてとらえなおすことはできる」と述べました。
そして、そのために記憶を風化させないことが大事だと強調。2歳で広島で被爆し、10歳で原爆症を発症した少女が回復を祈って紙で鶴を折り続けた逸話を紹介します。その少女の死後、日本と世界の多くの人々が鶴を折り、広島に贈り続けたことは、少女の苦しみ、恐怖、痛みと結びつこうとする戦後的倫理性のモデルであり、「今この国に生きている少女たちが、一人一人の手で作り直すことのできるモデルです」と述べました。
いま改めて9条に厳粛に向き合うことが求められます。(随時掲載)