2018年1月31日(水)
紙面にみる「赤旗」の90年
真実伝え 共同を追求
不屈のジャーナリズム精神ここに
「しんぶん赤旗」は1928年2月1日の創刊いらい、日本共産党の機関紙として社会変革の事業に貢献するとともに、真実を求める国民共同の新聞として、日本社会の中でゆるぎない地位を築いてきました。不屈のジャーナリズム精神に貫かれた「赤旗」90年の歩みを、紙面でたどってみました。
歴史が決着をつけた三つのたたかいと「赤旗」
日本共産党の創立は「赤旗」創刊の6年前、1922年7月15日で、昨年は創立95周年でした。1月に開いた27回党大会の決議は「日本共産党の95年は、日本国民の利益を擁護し、平和と民主主義、社会進歩をめざして、その障害となるものに対しては、相手がどんなに強力で巨大な権力であろうと、正面から立ち向かってきた歴史である。95年のわが党のたたかいのなかで、歴史が決着をつけた三つのたたかいがある」として、(1)戦前の天皇制の専制政治・暗黒政治とのたたかい(2)戦後の旧ソ連などによる覇権主義とのたたかい(3)「日本共産党を除く」という「オール与党」体制とのたたかい―をあげました。
これらのたたかいは、現在と未来に生きる大きな財産をつくりました。戦前のたたかいは、日本国民全体の財産である日本国憲法に、覇権主義とのたたかいは党の自主独立の路線、新しい党綱領に、「日本共産党を除く」オール与党体制とのたたかいは市民と野党の共闘に、それぞれ実を結んだのです。
「赤旗」は、これらのたたかいにどうかかわり、どんな報道をしたのでしょうか。
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戦前のたたかい
戦前のたたかいについて、決議は、「日本共産党は、非合法下での迫害や投獄に屈することなく、国民主権と反戦平和の旗、さらに人間解放と未来社会をめざす旗を掲げ続けた。戦前の社会でこの旗を掲げることは、文字通り、命がけのことであり、多くの諸先輩が弾圧で命を落とした」と紹介しています。
実際、当時の日本社会は天皇が絶対的権力をもち、国民は無権利状態におかれ、自由も民主主義もない時代でした。
その中で、「赤旗」(当時は「せっき」と呼ばれた)は、党の主張をストレートに国民に伝えるために、あえて非合法での発行に踏み切ったのです。
「赤旗」の発行も自由に行えず、「赤旗」をもっていただけで逮捕・投獄される―そんな度重なる弾圧によって、「赤旗」は、1935年、第187号をもって発行停止を余儀なくされますが、この間、「君主制廃止」「言論・出版、集会、結社の自由」「戦争反対、植民地の独立」など、党の主張を堂々と掲げ、真実を伝え続けたのです。
党と「赤旗」の主張の先駆性、正確さは、歴史によって検証されました。日本が敗戦のさいに受諾したポツダム宣言には、日本の戦争が侵略戦争だったという認定と、軍国主義の除去、日本の民主化が明記され、日本国憲法には、「政府の行為」によって戦争を引き起こしたことへの反省とともに、国民主権の原則が明記されました。
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覇権主義とのたたかい
戦後の旧ソ連などによる覇権主義とのたたかいはどうでしょうか。
1950年、ソ連のスターリンらによって武装闘争を日本共産党に押し付けようという干渉が行われ、党中央の一部が内通・呼応して、中央委員会が解体されました。
日本共産党は、この党史上最大の危機を乗り越える過程で、自らの国の革命運動の進路は自らの頭で決める、どんな大国でも干渉や覇権は許さないという、自主独立の路線を確立しました。
さらに、1960年代には、ソ連と中国・毛沢東派が、それぞれの権力を総動員して、日本国内に反日本共産党の流れをつくるとともに、内通者を支援してニセの「共産党」をつくり、日本共産党を押しつぶそうという大干渉作戦を行いました。
日本共産党は、この無法な攻撃も全党あげてのたたかいで打ち破りました。
ソ連共産党は、1979年の日ソ両共産党首脳会談で、干渉について反省の言明を行いましたが、その後も干渉は続き、日本共産党との間で、厳しい論争が続きました。このたたかいは、1991年、ソ連共産党の崩壊という形で終止符が打たれました。
中国共産党は、1998年6月の両党会談での合意文書で、干渉行為について、「内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった」と表明しました。
ソ連、中国という二つの大国に干渉攻撃の誤りを認めさせた歴史的たたかい―ここでも「赤旗」は大きな役割を果たしました。
ソ連、中国による干渉行為を告発し、その無法を批判する論戦は「赤旗」を舞台に行われ、時に8ページに及ぶ長大論文を掲載したことも。当時のマスメディアが、ソ連、中国の干渉の問題を紙面で完全に黙殺するなか、「赤旗」は、その無法な干渉行為を国民に知らせる役割を担い、全党は「赤旗」を通して、政治的・理論的に鍛えられたのでした。
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「オール与党」体制とのたたかい
「日本共産党を除く」という「オール与党」体制とのたたかいはどうか。
この一大契機となったのは、日本共産党排除を原則として明記した、1980年の社会党と公明党との政権合意(社公合意)でした。支配勢力が総力をあげ、日本共産党を政界から排除し、その存在をないものかのように扱う、大掛かりな反共作戦が始まったのです。1990年代前半には「自民か、非自民か」という共産党しめだしの一大キャンペーンが、その後は小選挙区制をテコにした「二大政党」づくりが行われ、2000年代には、財界主導の「二大政党による政権選択」の一大キャンペーンが繰り広げられました。
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これは、日本共産党の前進を阻む最強・最悪の逆風として作用しましたが、同時に、弱肉強食の新自由主義―「構造改革」路線の押し付け、社会保障切り捨て、雇用の破壊、憲法を無視した海外派兵拡大など、最悪の「反国民作戦」でもありました。
これに対して、日本共産党は日本の民主的再生を願う団体と個人による「革新統一懇談会」の結成を提唱、これをうけ1981年には全国革新懇が結成され、統一戦線運動の力強い推進力となってきました。
「オール与党」体制のもとで、悪政と国民との矛盾が噴き出すなかで、さまざまな分野で切実な一致点での「一点共闘」が広がり、悪政を国民的に包囲する流れがつよまっていきました。2014年総選挙では沖縄の新基地建設反対を掲げる「オール沖縄」候補が4選挙区で完勝。このような国民のたたかいが合流する形で、2015年、安保法制=戦争法反対のたたかいを契機に、市民と野党の共闘という流れがつくられたのです。こうして「日本共産党を除く」という「壁」は崩れ、過去のものになりました。
この間、「赤旗」は、「オール与党」体制の反国民的、反民主主義的な実態を具体的に告発しつつ、無党派を含む幅広い人々との一致点にもとづく共同を追求し、「共産党を除く」壁を打ち破るために全力をあげました。
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タブーを打破 世論動かす
どんな弾圧、迫害にも負けずに、真実を追求し、報道する―戦前、戦後のたたかいのなかで培われた「赤旗」の不屈のジャーナリズム精神は、さまざまなタブーに風穴をあけ、世論をうごかしてきました。
最近のメディアでも紹介されるなど、今も語り継がれる、タブーを打ち破った例としては、60年代後半から70年代にかけての「鶴タブー」「角タブー」「解同タブー」などがあげられます。
「鶴タブー」は、みずからへの批判を許さず、あらゆる手段をつかって封殺しようとした創価学会・公明党に対するタブーです。そうしたなかで、「赤旗」は、69年暮れ、「公明党 言論・出版に悪質な圧力 田中(自民)幹事長を仲介に」と、創価学会・公明党による言論・出版妨害事件を、被害当事者の証言によってスクープ。この問題は、日本の民主主義を揺るがす社会問題に発展、「鶴タブー」に風穴をあけました。
「庶民宰相」ともてはやされた田中角栄首相は「オレは各社全部の内部を知っている。記事を中止させるのも簡単だ」などと豪語。社屋の建設用地払い下げや、プレゼント攻勢による記者の取り込みなどで、文字通りの「角タブー」がメディアを覆っていました。
「角タブー」を打ち破る口火をきったのは角栄による信濃川河川敷買い占め事件を暴いた「赤旗」日曜版の記事。66年10月のことです。その後の連続追及によって、田中金脈の全貌があきらかになっていきますが、マスメディアが「角タブー」に触れはじめたのは、角栄が落ち目になった74年、月刊誌が田中金脈をとりあげ、問題になって以降のことでした。
「解同タブー」打破で重要な節目になったのは、1974年11月22日に兵庫県但馬(たじま)地方で起きた八鹿(ようか)高校事件です。「解同」(部落解放同盟)を名乗る暴力集団数百人が集団下校中の教職員を襲い、重軽傷者58人、うち数人が危篤に陥るという、教育史上前例のない事件でした。
ところが、「糾弾」という名の暴力を恐れるメディアはこの事件を黙殺。NHKはまる3日、「朝日」は1週間にわたって報道すらしませんでした。
事件翌日に1面で第一報を伝えたのは「赤旗」だけでした。「赤旗」は暴力集団が支配する町で決死の取材を続け、「無法を許さない」「但馬に夜明けを」のたたかいを全国に発信しつづけたのです。
「赤旗」のいまどこまで来ているのか
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一般メディアも注目の存在感
創刊から90年を迎える「赤旗」。いま、この新聞はどういう地点にあり、この日本社会のなかでどんな役割を果たしているのでしょうか。
ジャーナリズムの使命は、権力を監視し、真実を報道することです。ところが、日本の巨大メディアは、「国境なき記者団」による報道の自由度ランキングの深刻な低下に見られるように、全体としてその使命を果たしているとは言えない状況にあります。
「赤旗」はこの間、安倍首相とメディア幹部との会食が頻繁に行われている事実を、「権力からの独立」を旨とするメディアの根本姿勢にかかわる問題として、くりかえし追及。メディアの内部でも問題にされ、「報道機関の自殺行為ではないか」などの批判もでています。しかし、いっこうに改まる気配はありません。
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そのなかで、権力と対峙(たいじ)し、真実の報道を貫いている「赤旗」の存在感はかつてなく高まっています。それは、この間のメディアの注目にも表れています。
昨年5月には『週刊ポスト』が「聖教新聞」とセットで6ページの特集を組みましたが、そこで注目したのが、「赤旗」の「一般の報道機関にはない視点や角度」です。それは、「今でいえば振り切った『安倍政権批判』である」「両論併記を旨とする一般紙では考えられない強い論調で政権批判に邁進(まいしん)している」と書きました。
「全国紙が後追いする赤旗のスクープ力」「全国紙をも上回る取材力」にも注目。田中金脈追及、偽装請負追及、九電のやらせメール、稲田防衛相の白紙領収書疑惑など今昔のスクープを振り返っています。
日経新聞が昨年7月21日付夕刊で「党勢透ける機関紙」と題した政党機関紙の特集を掲載しましたが、ここでも「赤旗」の存在は、際立つものでした。
自民党の機関紙は「自由民主」という週刊紙で日刊紙はもっていないので、「機動力はどうしても日刊に劣る」という紹介。公明新聞は日刊だが、「特色は激しい選挙報道だ」「連日、候補者の必死の形相を1面トップで大きく掲載。見出しで『危うし』『重大局面』と物々しい言葉を並べ、読者から『怖い』との声も上がった」という紹介です。
「赤旗」はどうか。「日刊で長い歴史があるのが共産党の『しんぶん赤旗』だ」「党本部収入の8割を稼ぎ出す『資金源』」「書籍広告を除き企業広告も載せない」「赤旗といえば独自のスクープだ」「一般紙が追いかけることもある」「他党OBへのインタビューで政権を批判する記事もある」「将棋や囲碁の新人王戦も主催している」「文化・芸能関係者が紙面に登場することも多い」など、淡々と紹介していますが、日本共産党機関紙としても、国民共同の新聞としても活躍する「赤旗」の姿、特徴が浮かびあがっています。
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9条改憲・新基地・核兵器…真実に迫る
タブーなく真実を伝える「赤旗」―それは、日本の問題でも世界の問題でも、世の中の本当のこと、真実を知ろうと思ったら不可欠の存在、なくてはならない新聞です。
9条改憲問題
たとえば、安倍首相がねらう9条改憲問題。昨年の憲法記念日に打ち上げたものですが、もともとこのシナリオを描いたのは、改憲右翼団体「日本会議」のブレーンであり、その狙いは、「自衛隊を明記した3項を加えて2項を空文化させること」にありました。このことを、彼らの発言から洗い出して、「『9条2項を空文化』 日本会議 狙いあけすけ」と、いち早く暴露したのが、「赤旗」です。海外での武力行使が文字通り無制限になるというのが、この問題の本質です。そのことを国民多数の共通認識にしていくうえで、「赤旗」の役割は決定的です。
沖縄新基地問題
9条改憲問題と並んで、ことし絶対に負けられないたたかいとなっている、沖縄の新基地建設問題。「赤旗」は、新基地建設に反対するオール沖縄のたたかいに連帯する唯一の全国紙として、安倍政権がいかに民意も法も無視して新基地建設を強行しようとしているのか、その道理のなさとともに、立ち向かう沖縄の人々のたたかいを、全国紙のなかで、いちばん詳しく報道しています。
沖縄全域で相次ぐ米軍機事故は、「普天間基地は市街地の真ん中にあるから危険だ。海辺の辺野古に移せば安全だ」という、新基地建設合理化論が、まったくの偽りであることを浮き彫りにしました。
移設条件つきではなく、普天間基地の無条件即時撤去こそ唯一の解決策であることを訴え、解決の展望を示してきた「赤旗」の役割は、きわめて重要になっています。
核兵器禁止条約
昨年は、核兵器を歴史上初めて違法化する核兵器禁止条約が採択されるというビッグニュースがありましたが、「赤旗」は国連会議はもちろん、「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞授賞式からバチカンにまで初めて記者を派遣し、歴史的瞬間の一部始終を伝えてきました。
このなかで、国際政治の主役が一部の大国から多くの国々の政府と市民社会に交代する激変が起きましたが、こうした世界の構造変化、さらに核兵器廃絶を求める被爆者や草の根の取り組みまで、この問題での「赤旗」報道は他を圧倒。企画も、核兵器廃絶のたたかいを進める大きな力になっています。
大企業の不正
昨年は、大企業の不正事件や重大事故、談合や税逃れなどさまざまな事件が相次ぎましたが、この問題でなんの遠慮もなく、大企業の実名を出して不正を追及できるのは「赤旗」です。
昨年12月27日付1面は大企業の不正を告発するスクープが紙面を飾りました。一つは、トップの「アップル税逃れ 1・2兆円 日本で得た利益過去10年 租税回避地に移転」、もう一つは「のぞみ 台車亀裂のJR西、検査要員20人、今年4月削減」の記事。他のメディアにはできない「赤旗」ならではのスクープです。世界的な多国籍大企業であるアップルの税逃れの追及には、「さすがに赤旗。なかなかのものだ」などの反響が寄せられました。
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市民と野党の共闘の前進に大きな役割
「しんぶん赤旗」はいま、市民と野党の共闘を進める共同の新聞として大きな役割を果たしています。
俳優の仲代達矢さんが、「赤旗」創刊90周年に寄せたメッセージで次のように語っています。
「近年の『野党と市民との共闘』の選択は、非常に心強いものがあります。立場の違いを超えて、一歩でも半歩でもより良い社会へと向かう道を選ばれたこと、心から敬服いたします。その『共闘』の下地をつくったのは、『赤旗』紙上での幅広い人びとの交流ではなかったでしょうか」
仲代さんが語るように、「赤旗」はこの間、市民と野党の共闘が前進する中で、保守の人々をふくめ、これまでにない幅広い人たちに紙面に登場してもらい、交流を広げてきました。
市民と野党の共闘の源流ともいえる2012年3月いらいの「原発ゼロ 官邸前行動」、15年9月19日の党の国民連合政府提唱、16年2月19日の5野党党首会談合意など、共闘発展の節目となった出来事をその都度、大きく報道。同時に、この一致点に賛同し、ともにたたかう幅広い人たちが「赤旗」に次々登場し、発言してきました。
こういう「下地」があったからこそ、昨年の総選挙の中で、市民と野党の共闘に逆流と分断が突然襲いかかったときにも、それを乗り越える力が働き、共闘再構築にむかったのです。
たとえば、9月30日付から始めた「総選挙今言いたい」という発言シリーズ。各界の幅広い人々に登場してもらい、「逆流と断固たたかおう」「共闘をあきらめないで追求しよう」というメッセージを発信してもらう企画です。初回の9月30日付は1面トップで「市民と野党 共闘さらに」の見出しのもと3面を含め8人が登場、その後10月22日まで連日続き、地方版も含めて約80人が登場しました。政党でいえば、社民党、自由党、新社会党、元公明党、保守系無所属の地方議員、各地の市民連合関係者、大学教授、ジャーナリスト、俳優、落語家など実に多彩な人々が登場、数の面でも顔ぶれの面でも「赤旗」史上空前の取り組みとなりました。
さらに、選挙が終わり、日本共産党の議席が後退し、一部に「がっかり感」もでるなか、「赤旗」が間髪入れずに始めた「総選挙結果うけて」の談話シリーズも、局面を動かす転機となりました。
これには18人の識者が登場しましたが、共通して語られたのは、「共産党は市民と野党の共闘が崩壊の危機に瀕(ひん)したさいに、身を挺(てい)して逆流を止め、日本の民主主義を守った」という評価。それは、総選挙の意義と日本共産党が果たした歴史的役割を浮き彫りにするものでした。初回には3氏が登場、作家の笙野頼子さんは、「権力は野党共闘をこそ恐れている。怖いのは立憲民主党の数ではなく、共産党の献身」「ひたすらの善意は権力を脅かす」と喝破しました。読者からは、「珍しく『赤旗』1面を切り抜く。3氏の言葉は“善意”“献身”“たじろがず”といった賛辞にあふれていた。この党とともに歩む自分を誇らしいと思った」「議席減に気落ちしていたが、共産党に投票してよかったと上向きな気分になれた」など大反響が寄せられました。
「赤旗」は市民と野党の共闘の発展を願う人々にとって、なくてはならない新聞になっています。
年表で見る「しんぶん赤旗」
1922・7・15 日本共産党創立
28・2・1 党中央機関紙「赤旗(せっき)」創刊
35・2・20 弾圧により第187号を最後に停刊
45・10・20 再刊第1号
47・3・1 あかつき印刷が発足
7・16 題字を「アカハタ」に変更
50・7・18 GHQが「アカハタ」無期限発行停止を指令
52・5・1 「アカハタ」復刊第1号
59・3・1 「アカハタ」日曜版創刊
61・6・1 日刊にテレビ欄を新設
65・1・1 報道記事に「です・ます」記述を採用
66・2・1 題字を「赤旗」に変更
68 10・31 日刊紙にスポーツ欄、地方版(東京、関西)新設
69・10・15 「赤旗」将棋・第1期新人王戦が始まる
73・9・1 日刊紙16ページ建て実施
75・7 「赤旗」囲碁・第1期新人王戦始まる
97 4・1 題字を「しんぶん赤旗」に変更。日曜版のタブロイド化
2000・5・1 日刊紙を一部カラー化
18・2・1 創刊90周年