2018年1月6日(土)
九州北部豪雨から半年 爪痕なお
実家跡に花を手向け
福岡、大分両県で大きな被害をだした昨年7月の九州北部豪雨から5日で半年となりました。被災地ではこの日、住民らが黙とうし、犠牲者を悼みました。土石流で大きな被害を受け、新年を迎えた朝倉市杷木(はき)で取材しました。(福岡県・田中正一郎)
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豪雨の犠牲者は、行方不明者の遺体の発見や、車中泊の後に体調が悪化し亡くなった朝倉市の男性1人の災害関連死の認定で、40人となりました。朝倉市では、今なお2人が行方不明となっています。
母と兄、その妻の3人を豪雨で亡くした男性(61)は5日、石詰(いしづめ)集落の実家の跡に花を手向けました。兄は行方不明のままでしたが、昨年12月21日に遺体が確認されました。
毎年正月は集まって新年のあいさつをしていたのに、と声を落とす男性。「元気にしていれば孫の近況などを話せるが、それもなくなり、故人に心の中で話しかけ『がんばりよるな』『みてやりよるよ』と思い浮かべ手を合わせている」と語ります。
集落から離れた防災無線の音が雨音で聞こえなかったことや、監視カメラ・水位計が氾濫した小河川になかったことにふれ「5年前の水害の後、防災にお金を使っていれば、ひょっとすると被害者が少なかったかもしれない。行政は災害が起きる前に対策をし、住民も早め早めに避難してほしい」と語りました。
元の生活に近づけたら
仮設で迎えた正月
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福岡県では仮設住宅やみなし仮設、公営住宅などに1109人が入居しているほか、親戚宅などに197人(朝倉市、昨年11月現在)が身を寄せています。大きな被害を受け大半の住民が避難している朝倉市杷木、乙石(おといし)川沿いの乙石、中村、石詰3集落は、正月もひっそりと静まり返っていましたが、親戚らとかつての面影を探す住民の姿が見られました。
仮設住宅に入居する女性(75)は「自宅のように手足を伸ばして寝られない気がするが、ボランティアは本当にありがたい」と話しています。災害後、初めて集落の道をたどった女性。押し流された集落を前に、自慢の棚田に彼岸花が咲き誇る中、みんなで食事を取った思い出が遠いところになってしまったように感じるとし「元には戻らないかもしれないがそれに近づけなければ」と語りました。
山中では崖崩れで作業道や農道が寸断されており、特産の柿や梨の農作業、シイタケの収穫などができなくなっています。
林業を営む男性(49)は、自宅と倉庫が押し流され、崖崩れで作業機械は山からおろせなくなっています。山の状態について「土木工事をしなければいけないような壊れ方の場所が何カ所もある。砂防も必要だが、山を元に戻す施業が先では」と話します。土石流を止める土留めが急務だとし「土日でもボランティアをお願いできれば。できることからやっておかないと」と語りました。
乙石川流域では仮設の防災工事が進んでいます。井手廣喜・中村区長(66)は、復興計画策定に向けた要望調査で、河川だけでなく山あいの沢への砂防ダム設置や災害公営住宅建設などが要望に上がったと話します。地域の高齢化を踏まえ「所得のない人やお年寄りのための低所得住宅の要望など、区としても声を上げていかなければいけない」と訴えました。
日本共産党も入る「九州北部水害救援共同センター」では、今年も6日に高校生ボランティアを受け入れるのを皮切りに、構成団体による仮設住宅への物資提供や農地の復旧作業を行います。党も仮設でのアンケート活動などを予定しています。
高瀬菜穂子県議は「最大限、元の生活が取り戻せた、というところまでいって初めてコミュニティーが守れる。安全対策の次は細やかな聞き取りと配慮が必要。小さな農家、事業者も含めて生業(なりわい)再建を行い、コミュニティーを取り戻すため全力を尽くしていく」と語りました。