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2017年12月18日(月)

きょうの潮流

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 あのとき、妹は何を伝えたかったのか。8月6日が来るたびに、脚本家の早坂暁(あきら)さんは広島の地にたたずみました。いつまでも答えの出ない問いを心に。それが創作の原点でした▼戦艦大和を夢見た早坂さんは終戦の年、防府の海軍兵学校にいました。実は妹は遍路道にある実家の前に置かれた子。兄と血のつながりがないことを知り、面会に来る途中で原爆にあいました。二人は互いに好意を抱いていたそうです▼敗戦直後の引き揚げ中、広島駅に立ち寄った早坂さんはホームから見た無数の青い光に立ち尽くします。廃虚の中に放置された死体が発するリン光でした。原爆は何十万人もの運命をのみ込んだ、これは人類が滅びるときの光景だ―▼本紙日曜版に連載した「花へんろ」や「夢千代日記」をはじめ、ドラマにもなった数々の作品には、もう戦争はくり返さないという強い思いが底に流れていました。同時に庶民が織りなす人間模様への深い洞察やぬくもりも▼連載を担当した記者は、ひょうひょうとした人柄の中にも平和を求める太い信念があったといいます。戦争反対を貫いてきた日本共産党への信頼も厚く、「必須政党」「メートル原器」といった表現で期待を寄せてくれました▼本紙が創刊80年を迎えたときは“世界文化遺産”級だと。「赤旗」が消えるときは日本の自由が消えるときとまで。小説や映像で多くの人びとの情感を揺さぶってきた早坂さん。あの戦争を問いつづけ、人間の生き方を描きつづけた88年の生涯でした。


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