2017年11月21日(火)
2017焦点・論点
核兵器禁止条約の意義と日本の役割
明治学院大学国際平和研究所所長・国際学部教授 高原孝生さん
旧来の国際政治構造への挑戦 ヒバクシャの訴え継承に責任
平和研究の立場から核兵器禁止条約の国際的・歴史的意義と唯一の戦争被爆国・日本の役割はなにか。明治学院大学国際平和研究所の高原孝生所長・国際学部教授に聞きました。(聞き手・阿部活士)
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核兵器禁止条約はいろんな意味で画期的なものです。なにより、核兵器をもたない諸国がそれを禁ずるきまりをつくったこと自体、旧来の国際政治構造へのチャレンジです。
ほんらい軍縮とは、武装解除を強者が弱者に強要するものなのです。そこで強者は“お互いのためになる”というロジック(論法)を建前にします。しかし、この条約は、弱者のほうが強者の建前を逆手にとって“みんなのためになる”からと、強者を武装解除しようというものです。
現代戦争のリアリティーは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされる帰還米兵が示すように、全員が敗者になる、ということです。人類共滅をもたらしうる核戦争は端的にそうでしょう。最近の研究によれば、核兵器を使った地域戦争が起きれば、地球全体が「核の冬」となり何億人もが死ぬといいます。今回の条約は、多数の国が少数の核保有国にたいし“あなたたちに地球を滅ぼす権利はない”という宣言なのです。
それはまた、非人道的な兵器による武力行使を許さないという、従来の国際人道法にのっとった要求でもあります。化学兵器も生物兵器も禁止条約が成立して久しいのに、もっとも残虐な核兵器についてそれがなかったという異常な状態に、ようやく終止符が打たれそうです。
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「悪魔的な代物」完全な廃絶必要
―平和学の立場から核兵器禁止条約をどうみていますか。前文には「平和・軍縮教育」の大切さもうたっていますが…。
私の大学には、「広島・長崎講座」もあり、授業のなかでさっそく取り上げています。条約の前文には、なぜ核兵器を禁止しないといけないか、さまざまな角度から述べられていて、ゆっくり読んでいく価値があります。
核兵器は、およそ兵器とも呼ぶべきでないような悪魔的な代物です。その「いかなる使用も」「壊滅的な人道上の帰結」をもたらすと条約は述べ、それが使われないようにするためには「完全な廃絶」が必要だと明言します。
ただ存在するだけで核事故や偶発核戦争の危険があること、そしてすべての国の安全が脅かされているので、使われないようにする責任がすべての国にあることが強調されています。さらに、「核兵器の生産、維持及び近代化の計画のために経済的及び人的資源を浪費している」との指摘があります。いま世界が直面する温暖化、飢餓・貧困にとりくむために、なによりも軍事費を減らし、そうした対策へと転用することが求められているという大きな文脈の中に、核兵器の禁止があるのです。
また条約は随所で国際連合憲章に言及しています。戦争をなくし人権を実現するという“国連の原点”へと、国際社会が立ち戻ろうとする流れの表れとしてもとらえうるでしょう。この条約は核兵器の残虐性を追及し、禁止することにとどまらず、戦争を過去のものにしていくことにつながっていきます。
―日本政府などは、さかんに“核の傘”論を言いたてますが。
その言葉づかい自体、もうやめるべきです。核武装の実態を覆い隠してしまうからです。まず戦争は人が起こすもので、けっして雨のような自然現象ではありません。そして“核の傘”をさしかけるとは、常に核攻撃の準備をしていることなのです。相手ののど元に“核のヤリ”をつきつけて脅しているのです。核兵器は本質的に攻撃的な兵器です。
北朝鮮の核武装が脅威なのも、まさにそのせいです。他方、アメリカはいつでも北朝鮮を核攻撃できる態勢をとっています。核の脅しに核で対抗するという今の危険な事態をみれば、メディアが枕ことばのように“核の傘で守られた日本”などと述べるのがいかに見当外れかがわかります。
そんな手詰まり状況から脱するためにも今回の条約は有用ではないでしょうか。たとえばアメリカが核攻撃をしないと言葉と行動で示すとともに、北朝鮮、韓国、日本が条約に同時加盟して、この地域に非核兵器地帯をつくる、という構想はありうると思います。
被爆国に対する期待裏切る行為
―安倍政権は、この条約への参加を拒否しています。
いまの日本外交の最大の問題は米政権に完全に寄りそっていることです。アメリカ国内は格差拡大、人種分断、銃社会の惨劇でガタガタなのに、トランプ大統領は軍拡路線をひた走るというのです。いったいいつまでそれは持続可能なのでしょうか。世界の向かうべき方向と逆行する政権に伴走していては、日本外交が傷つきます。また被爆国に対する世界の期待をも裏切ることになるのです。
ことしの国連総会第1委員会に日本政府が提出した決議案は、禁止条約にまったく触れませんでした。これは条約を推進、採択した諸国にたいして敵対的な立場を明らかにしたということです。それでいて非核国と保有国の「橋渡し役になる」という政府の言い分は、誠実な言葉に聞こえません。かろうじて被爆者の方たちの示す人間的な尊厳によって、核軍縮外交における日本の存在感が保たれているといえるでしょう。
逆にいうと、私たち日本の平和研究者や市民社会にとっての課題も見えてきます。核戦争を絶対にゆるさないという被爆者の訴えを受け継いでいくという責任です。文字通り言葉に尽くせぬほどの被害と苦しみをあえて人前で語り記すのは、もう二度と原爆が、どの国の人に対しても使われることがないようにと願ってのこと。条約に記されたヒバクシャの文字が表しているのはその心なのだと、次の世代、世界の人に、しっかりと伝えていかなくてはなりません。