2017年8月15日(火)
きょうの潮流
外壁の生々しい銃弾痕、焼夷(しょうい)弾で焼かれた柿の木、地下壕(ごう)や火薬製造所の跡地。知り合いの写真家、増田康雄さんが撮りためた「多摩の戦争遺跡」が本にまとめられました▼軍事上の施設が多くあった地域。増田さんは戦争の悲劇を後世に伝える「生きた文化財」として遺跡を記録してきました。今も各地に残る戦争の爪痕。それは、あの戦争とは何だったのかを静かに問いかけています▼1945年8月15日。まだ10代の少年は「玉音放送」を焼け跡のラジオで聞きました。「東条のバカヤロー」と叫びながら。幹部将校を養成するために設けられた東京陸軍幼年学校の“最後の生徒”だった作家の西村京太郎さんです▼敗戦の年の4月に入学した西村さんは、半分は国の決めたことを信じ、あとの半分で戦争と自分のことを考えていました。政府も軍も「本土決戦」と騒いでいるから当分戦争は続くだろう、兵士になって戦場に行くのだからそれまでに将校になっていようと(『十五歳の戦争』)▼一般市民を「地方人」と呼ぶ強烈なエリート意識の中で、盾となって天皇を守れとたたき込まれた戦時下の少年。死を生の上に置くことが普通になっていた当時を顧みながら、西村さんはいま、日本は不戦を貫け、と訴えます▼敗戦から72年。私たちは、戦後の平和の歩みから大きく外れ、戦前回帰を志向する政治に直面しています。人間を狂気にかりたてていく戦争は二度とくり返さない。あのときの誓いは人びとの胸に生き続けているはずです。