2017年7月9日(日)
世界で日本で求め続けて
核兵器禁止条約までの歩み
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1945年8月、米国が広島、長崎に人類初の原子爆弾を投下しました。46年1月に開かれた第1回国連総会は第1号決議で、原子兵器その他の大量殺りく兵器の廃絶を求め、米国も賛成しました。
ところが米国と当時のソビエト連邦をそれぞれ中心とする軍事同盟が誕生。大量の核兵器を持つことで相手に攻撃をさせないという「核抑止力」論にもとづいて核軍拡を進め、核保有国も増えました。
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54年3月に米国が太平洋ビキニ諸島で行った水爆実験で日本の漁船が被災したことをきっかけに、翌年8月に始まった原水爆禁止世界大会は一貫して、核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶を掲げてきました。
55年4月に開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)は核兵器廃絶を要求。これが非同盟運動に引き継がれ、国連総会でも核兵器の禁止・廃絶を求めます。
核実験を地下だけに限定する部分的核実験禁止条約(63年10月)や核保有国を5大国に限定する核不拡散条約(NPT)(70年3月)が発効しましたが、70、80年代、核軍拡競争は続きました。
95年5月、それまで25年の期限付きだったNPTが無期限に延長されたことを一つのきっかけに、核兵器廃絶を求める声が国際的に広がります。
核兵器の違法性を認めるよう求める国際的な運動を受けて、国際司法裁判所は96年7月、核兵器の使用と脅威は一般的には国際法に違反するとの勧告的意見を示しました。国連総会でも、核兵器禁止条約の実現を求める決議が毎年、採択されるようになります。
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2000年5月のNPT再検討会議は最終文書で、「自国の核戦力の完全廃絶の達成に対する核兵器国の明確な約束」を確認。同条約6条にもとづいて核5大国に核兵器廃絶を迫るきっかけとなります。
オバマ米大統領は09年4月、プラハで行った演説で、「核兵器のない世界」の実現に「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動すべき道義的責任がある」と表明。国際政治の場で核軍縮の機運も高まりましたが、オバマ政権をはじめ核保有国とその同盟国は「核抑止力」論にしがみつき、具体的な進展は見られません。
そのような状況のもとで新たに、核兵器は非人道的な兵器だという側面から廃絶を追求することが国際政治で始まります。
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12年5月のNPT再検討会議第1回準備委員会で、16カ国が「核軍縮の人道的側面」という共同声明を発表。核兵器が「再び使われるなら、甚大な人道的被害は避けられない」と訴えました。その後、「核兵器による人道的影響」国際会議が3回開かれ、共同声明に賛同する国は14年末に155カ国となりました。
こうした流れを受け、第71回国連総会は16年12月、核兵器禁止条約の交渉を17年に開始するとした決議を採択。核兵器禁止条約の国連会議が今年2回開かれ、7月7日、条約を採択しました。