「しんぶん赤旗」
日本共産党
メール

申し込み記者募集・見学会主張とコラム電話相談キーワードPRグッズ
日本共産党しんぶん赤旗前頁に戻る

2017年6月22日(木)

主張

沖縄「慰霊の日」

戦争の惨禍再び起こさせない

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 mixiチェック

 あす23日は、沖縄の「慰霊の日」です。日本軍国主義の対外侵略で始まったアジア太平洋戦争の末期・1945年の沖縄戦で、日本軍の組織的な抵抗が終わった日とされます。沖縄戦最後の激戦地、本島南端の摩文仁(まぶに)の丘にある平和祈念公園(糸満市)では、県主催の追悼式が開かれます。軍事基地など戦争につながる一切を否定し、恒久の平和を希求する“沖縄の心”の原点は、沖縄戦の壮絶な体験にあります。「慰霊の日」に込められた「戦争による惨禍が再び起こることのないよう」(県条例)にするとの県民の決意を全国でともにすることが必要です。

遺族への遺骨返還早く

 沖縄戦で米軍の捕虜になり、ハワイの収容所に移送されて亡くなった12人の沖縄県出身者を追悼する「慰霊祭」が今月4日、戦後72年にして初めて、ホノルル市内で開かれました。遺族をはじめ、元捕虜として、「慰霊祭」実行委員会共同代表の渡口彦信さんや「鉄血勤皇師範隊」の学徒兵だった古堅実吉・日本共産党元衆院議員が参加しました。

 日本人捕虜としてハワイに連行されたのは沖縄県出身者に限られ、その数は約3000人といわれます。大半は帰国できましたが、12人は激烈な沖縄戦を生き延びたものの、移送先で病気やけがなどによって命を落とし、沖縄の地を再び踏むことはありませんでした。12人の遺骨は不明のままです。

 戦後72年もたつのに遺骨を遺族に返すことができない―。沖縄では今、こうした問題の解決が切実に求められています。

 厚生労働省の統計によると、沖縄戦の日本人戦没者数は18万8136人(軍人・軍属含む)に上り、遺骨収集数は18万7374人となっています。ところが、厚労省が2003年度から始めたDNA鑑定で身元が判明した遺骨は4人だけで民間人はいません。鑑定は遺骨の発見場所と遺族の関係を証明することなどが条件になっており、遺族ですら家族がどこで亡くなったか分からないのが実情です。希望する遺族には無条件で実施することが、国の最低限の責務です。

 遺骨問題が示すように、沖縄戦は凄惨(せいさん)を極めた戦争でした。「ありったけの地獄を集めた」と形容されるゆえんです。古堅さんは当時、本島南部へと逃げる途中、死体に母の乳を求めてすがる乳児を見つけ、あまりのむごさに身も心もちぎれる思いでしたが、どうすることもできず立ち去った無念の思いを著書などで語っています。

 安倍晋三首相は、「戦争する国」づくりを進め、憲法9条改憲を明言し、海外での武力行使を無制限に可能にしようとしています。沖縄では、県民大多数の意思を踏みにじり、名護市辺野古での米軍新基地建設を強行しています。いずれも、“沖縄の心”を乱暴にじゅうりんするものです。

9条守り、新基地に反対

 辺野古を含む本島北部(ヤンバル)は、沖縄戦の激戦地となった南部の人びとなどが避難し、命を救われた土地です。その“恩義の土地”に、戦争につながる米軍新基地が造られ、他国に攻め込む拠点になることに、沖縄戦で九死に一生を得た体験者はとりわけ胸をえぐられる思いを抱いています。

 憲法9条を守り、「基地のない平和な沖縄」への道を開くたたかいを強めることが大切です。


見本紙 購読 ページの上にもどる
日本共産党 (c)日本共産党中央委員会 ご利用にあたって