2017年5月1日(月)
「共謀罪」法案論戦
内心の処罰 明白に
藤野議員の追及に政府答弁破たん
衆院法務委員会で審議されている「共謀罪」法案。政府はしきりに「一般市民は処罰の対象にならない」(金田勝年法相)と繰り返しますが、「心の中」を捜査し処罰する同法案の危険な本質がますます鮮明になっています。(中祖寅一)
|
政府は、実際には起きてもいない“犯罪”について、2人以上で「話し合い、計画」しただけで犯罪に問える共謀罪の成立要件として三つをあげています。(1)犯罪の主体が組織的犯罪集団(2)計画(合意)がある(3)計画に加え、犯罪の実行準備行為がある―というものです。“限定付き”なので一般市民に及ばないという理屈です。
このうち、実行準備行為の「例」として同法案は「資金又は物品の手配、関係場所の下見」(6条の2)をあげています。4月28日の衆院法務委で盛山正仁法務副大臣は「実行準備行為が行われて初めてこれらを処罰する。内心を処罰するものではない」と答弁しました。
下見なのか花見なのか
これに対し日本共産党の藤野保史議員は、「その実行準備行為を判断する際に、内心を調べざるを得ない」「(犯罪の)下見なのか花見なのか、その目的でしかわからない」と反論。金田法相が、実行準備行為か否かの判断で目的を調べると答弁していることも示し、「内心を調べていくことになる」と改めて批判しました。
通常犯罪と比較しても
同法案が「心の中」を捜査・処罰するのは明白です。しかし、4月28日の審議で答弁に立った井野俊郎大臣政務官は「(藤野氏は)内心、内心というが、普通の犯罪の言葉では『主観面』だ。車で人を殺してしまったとき、故意があれば殺人、なければ過失致死。内心というか主観面を調べるのは当然だ」と言い立てました。
藤野氏はすかさず反論しました。
「政務官があげた事例は(「車で人を殺してしまった」という)客観的な行為が発生している。なぜ起きたか主観面を調べるのは当然だ。しかし、共謀罪では客観面は何もない。外から見ても花見か、(犯罪の)下見かわからない。だから主観面といっても内心の捜査に近づいていく」
共謀罪は、内心そのものを犯罪とするもので、行為や結果など外部的事象は存在しません。井野氏の答弁は、通常の犯罪との比較を持ち出したことによって、共謀罪の特徴を浮き彫りにしました。
4月28日の審議では林真琴刑事局長が、通貨偽造罪を例に、同罪の成立には「行使の目的」が必要とされていることから「主観を捜査することは当然だ」「主観を調べること自体に問題があるわけではない」と答弁しました。
監視社会の危険な本質
藤野氏は、この点について、通貨偽造では「通用する貨幣、精密な通貨が造られて初めて犯罪になる。オモチャのコインや人生ゲームの紙幣ではだめだ。そういう客観面が存在するわけで、共謀罪とはそこが全く違う」と批判しました。
実行準備行為について、政府側は「犯罪の計画を前に進めるものであれば足りる」と繰り返し答弁しています。しかし、「下見」といっても、外部的にはぶらぶらと歩いているだけで、それ自体が犯罪の一部となるものではありません。だから、準備行為自体も含め、外部的事情から内心を推測するという方法はとれず、端的に、内心そのものを捜査機関が探索することになるのです。そこに、共謀罪の内心処罰、監視社会導入の危険な本質があります。
同日の法案審議後、与党議員の一人は「藤野議員に一本取られた」と語りました。
一般人は捜査の対象にならず?
副大臣が答弁修正
4月28日の衆院法務委員会の審議では、21日の同委で、一般人も「捜査(調査)の対象になりうる」と答弁していた盛山正仁法務副大臣が答弁を「修正」。「犯罪の嫌疑が生じている以上は(その人は)組織的犯罪集団とかかわりのない人ではない。一般の方には含まれない」と述べました。
政府は、犯罪の主体を「組織的犯罪集団」に限定しているから、一般の人は処罰されない、捜査の対象にもならないと説明しています。しかし、組織的犯罪集団の定義は不明確であるうえ、一般的な団体が組織的犯罪集団と認定される可能性も否定されません。
その中で、組織的犯罪集団に属するかどうかは、捜査、裁判を終わってみなければわからず、「嫌疑を受けた人は一般人でない」などというのはまったく不自然な決めつけであり、無罪推定原則にも反します。
盛山氏と政府の答弁は、「嫌疑を受けた人はその段階で一般の人ではない」とすることで、“一般人が捜査対象になるか”という疑問自体を打ち消すすり替えにすぎず、堂々巡りの議論に陥っています。