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2017年3月25日(土)

きょうの潮流

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 「原爆原子雲の下で何があったのか」。国連での核兵器禁止条約交渉会議を前に被爆者とともに、核兵器特有の残虐性を告発するヒロシマからの訴えがあります▼1945年8月6日。爆心地から16・7キロ離れた広島県可部町。「ピカッと光り教室の窓ガラスは割れ、防空壕(ごう)に。壕から出ると空は黒い雲に覆われ、薄暗かった。姉と帰る途中に灰と黒い雨が降ってきた。服が汚れ川で洗濯した」。7歳だった森園カズ子さんの体験です▼田畑に灰がかぶり、飲み水にしていた沢の水にも「黒い雨」が混ざりました。よく下痢をしたカズ子さん。父親は原爆投下から12年後に白血病で死亡しました。カズ子さんも30代のとき、医師から「甲状腺が腫れている。原爆に遭ったか。原爆症と同じ症状です」▼放射性降下物を含んだ「黒い雨」地域は、気象研究所研究室長だった増田善信さんらの調査で島根県との県境まで及ぶとわかりました。被害面積は東京都の半分と広範囲でした。米国は核兵器使用を前提にする核戦略のもと「核兵器は通常兵器と同じ」と、放射性降下物による被ばくの影響を否定してきました▼歴代自民党政権もアメリカに追随してきました。森園さんらは、「原爆黒い雨訴訟」原告団として立ち上がりました。健康被害は放射性降下物による被ばくだと▼「私たちが味わった苦しみは、核兵器のせい。一発残らずなくさないといけない。被爆国・広島選出の外相として世界に知らせる責任がある」。政府につきつけたこの叫びは重い。


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