2017年1月11日(水)
2017焦点・論点
「ポスト真実」にどう向き合うか
名古屋大学大学院准教授 日比嘉高さん
正確な事実を伝え続けていく 届く言葉を届く経路と方法で
イギリスのオックスフォード辞書が昨年末、年間の世界の言葉に「ポスト真実(post―truth)」を選びました。日本共産党の志位和夫委員長が4日の党旗開きのあいさつで、この「ポスト真実」の政治にふれたことが話題を呼びました。事実に基づかないうそと偽り、「ポスト真実」の政治とどう向き合うか―。この問題に詳しい名古屋大学大学院准教授の日比嘉高さん(近現代日本文学・文化研究)に聞きました。(山沢猛)
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―「ポスト真実」とは耳慣れないという声がありますが。
「ポスト真実」は二つの言葉が連なっています。ポストは「後の、次の」という意味なので、「真実の次に来る」「脱真実」というニュアンスになります。オックスフォード辞書は「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」を指す言葉だとのべました。「事実よりも感情」ということです。
米大統領選挙ではトランプ陣営が大小さまざまなうそを並べ、同氏が大統領になりました。イギリスのEU離脱の国民投票でも、EUに支払っている拠出金が1週間で約480億円に達すると離脱派が主張、離脱の結果が出てから残留派のいう数字が正しいと訂正し怒りを呼びました。
日本でも首相が福島第1原発の状況を「統御(アンダーコントロール)されている」といったり、防衛大臣が南スーダンの首都は「治安が落ち着いている」とのべたりしています。
こうした事実に基づかない主張がまかりとおることが社会で起きています。これはインターネットの文化と深くかかわる問題で、一部の国でなく世界で見られます。政治的立場の左右を問わない、社会的な風潮として考えるべき問題です。政治の場合、それを「ポスト真実の政治」と呼んで問題点を考えることが増えてきました。
世界で日本で
―世界でも日本でも起きていることなのですね。
そうです。インターネットで、内容まで読まないでニュースなどのタイトル(表題)だけをみる。あやしいものも多いが、それを本当なのかということを確認しないで受け入れてしまう。
全くの偽のニュース(いわゆるフェイク・ニュース)を意図的に金もうけのために、大量に流しているサイトもあります。そのニュースを読者がチェックしないまま信じる。その結果、偽の情報が独り歩きするのです。
デマの問題というのは日本でもあります。たとえば昨年の熊本の震災のあと、動物園のライオンが逃げ出したというデマが「映像」とともに流されました。沖縄・高江でのヘリパッド建設に抗議する人たちが金で雇われているというひどいデマは私自身、目にしました。
―なぜそうした風潮が起きているのですか。
原因の一つに、私たちがニュースに接触する仕方が変わってきていることがあります。これまでは、まず新聞やテレビから知るという形だったのが、パソコンやスマホで見る。情報に接する仕方が変わってきています。
とりわけ、ツイッターとかフェイスブックなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で友達関係、フォロワーの関係になっている人たちの間でニュースが共有される仕方に、特徴があります。個人的な感覚が近い人たちが友達になっていますから、自分が正しいと思ったり、求めたりするニュースにより多く接することになっていきます。
「事実」を伝えるニュースをただ単にそのままシェアするのでなく、「いいね」とか「ひどいね」という感情をつけ加える。つまり「感情が付着した状態」でニュースを共有しているのです。
これがインターネット、とりわけSNSの世界の特徴です。
言葉言い換え
―客観的事実を二の次にする風潮を政治も担っているということですね。どういうものがありますか。
これはたくさんあげられると思います。最近ひどいなと思ったのが、公約していた消費税引き上げを延期し据え置いたときに「新しい判断」と言っていましたが、びっくりしました。明らかに公約と違っていても「新しい判断」だといってすませる。そして世論もそれを大きな問題とはしませんね。
「ポスト真実」の日本の状況で違っているのは、トランプ陣営ほどあからさまなウソはそれほど多くないのですが、かわって言葉を言い換えたり、ぼやかしたりすることが多い。たとえば武器を「防衛装備品」と呼びます。武器輸出は「防衛装備移転」。意図的に言い換えていますね。
「積極的平和主義」という言葉もそうです。これまでだったら違う言葉で言っていたものをぼやかした、口当たりのいい言い方に変えています。
―所得格差が拡大し、鬱屈(うっくつ)した不満が蓄積していることが、日本でも「ポスト真実」の風潮の背景にあると指摘していますね。
イギリスのEU離脱派もアメリカのトランプ支持者も、多くは没落した中間層だと言われています。日本も同じかもしれません。
不遇な環境に置かれた不満や怒りのはけ口が排外主義的な言動や行為に向かいます。自分をおびやかすものや、自分が信じる「正しさ」と相いれない考えに敏感に反応します。
そうした強い感情や信条と結びついていますから、事実の正確さだけを示しても簡単にはカタがつきません。
警戒感上がる
―「ポスト真実」の時代にどう向き合うべきなのでしょうか。
最近インターネット上の複数の情報サイトが、健康にかかわるいいかげんな記事などをのせていたと問題になり、休止する事件がありました。米大統領選でも偽ニュースが話題になりました。
この間の出来事を通じてネット上の情報に対する警戒感が、わずかですが上がってきたように思います。
同時に、新聞など既存のメディアが時間も金もかけてつくった情報の価値が見直されているように感じます。
地力のあるメディアには、手間暇をかけた質の高い記事、正確な記事を出し続けてもらいたいと思います。
それをちゃんと届く言葉、届く経路と方法で伝えていくことも大切です。専門家の中でわかっていることでも、それをわかりやすい言葉で一般の人に伝えていく。極端な政治信条、偏った意思に凝り固まった人たちを説得するのはなかなかむつかしいですが、右でも左でもない一般の人たちに向けて正確な事実を伝えていくということをしてもらいたい。
一般の人たちはこの情報の出どころや掲載媒体、執筆者などを確認し、それが信頼に足るものなのか確かめる習慣を身につけなければなりません。そうしないと容易にだまされます。ネット上の目を引く情報には危険もあるのです。
トランプ氏の言明「ウソ」69%
米サイト調査
米国のサイト「ポリティファクト」は、政治家の言明がうそか本当かを世論調査。トランプ氏の得点表は「ほぼウソ」「ウソ」「真っ赤なウソ」で計69%。一方、「本当」「ほぼ本当」「半分本当」で計30%でした。
大統領選中「クリントンはパーキンソン病」「ローマ法王がトランプ氏を支持」などデマが飛び交い。トランプ氏自身も人種差別、女性差別、移民排斥などの発言を繰り返しました。
「ポスト真実」の出自
1992年に米国の劇作家が最初に使ったといわれます。2003年に米国が「イラクに大量破壊兵器が存在する」という虚偽の主張でイラク戦争を開始したのが具体的な例。昨年6月のイギリスのEU離脱の国民投票や、米大統領選挙でトランプ陣営を論じるさいに使用頻度が急激に高まりました。