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2017年1月6日(金)

きょうの潮流

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 真田丸ブームにわく信州・上田城を訪ねたときのことです。城址(じょうし)公園の一角に、幕末の洋学者、赤松小三郎を紹介する小さな展示館がありました▼何気なく入って驚きました。上田藩の下級武士だったこの人物が、いかに先駆的な考えの持ち主だったか。1867(慶応3)年、赤松が有力諸侯の松平春嶽や島津久光、幕府にも出したという建白書は、いち早く議会政治を提唱したものでした▼若くして江戸や長崎に遊学。学問を広く学び、英国式の兵法を多くの門人に伝えました。幕末の転換期に書いた建白の七カ条には、今の国会にあたる「議政局」の開設や人材教育のための学校の設置。人民平等や個性の尊重まで▼37歳で京都で暗殺された赤松はこれまで歴史の表舞台から隠れてきました。しかし近年、その業績が掘り起こされ、現行憲法の理念を先取りし、立憲主義を説いた人物として光があてられています▼『赤松小三郎ともう一つの明治維新』を最近上梓(じょうし)した関良基・拓殖大准教授は「江戸時代末期、赤松のみならず多くの日本人が現行憲法につながる“人類普遍”の内容をもつ憲法構想を支持していた」といいます。そして現在の憲法は押し付けなどではなく、近代日本からの連続性をもち、日本人みずからの意思で醸成されてきたものだと▼憲法施行70年の今年は赤松の死から150年の節目にあたります。国家が国民を縛る改憲に執着する安倍首相。それがいかに時代の歩みを後戻りさせるものか。歴史の足跡が教えてくれます。


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