「しんぶん赤旗」
日本共産党
メール

申し込み記者募集・見学会主張とコラム電話相談キーワードPRグッズ
日本共産党しんぶん赤旗前頁に戻る

2016年12月13日(火)

きょうの潮流

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 mixiチェック

 「申(さる)年の息子から孫が元気にうまれた」と、申年生まれの4代目を喜ぶのは、年女で、84歳になる広島被爆の中村雄子さんです。安倍政権にきな臭さを感じ、ひ孫が“戦争で命を落とすことのないように”と思ってしまう、とも▼あの日、市内で建物取り壊し作業に動員された後輩たちは全員犠牲に。「核兵器と戦争は許せない」と語り部をしてきました。先日の被団協沖縄連帯ツアーで中村さんの心に響いたのは、沖縄戦“ひめゆり学徒”の語り部、島袋淑子さんの体験です▼「負傷兵の手術、切断した手足の処理や死体埋葬…数カ月もつらい仕事をさせられた。敵兵から逃げ回った恐怖。苦しみを深く理解しないといけない」と中村さん。基地ノー・米軍いらないのたたかいで先頭にたつ「オール沖縄」の原風景をみた思いだと▼県民根こそぎ動員と持久作戦で臨んだ日本軍。米軍の上陸作戦が始まった3月、島袋さんらは陸軍病院に。撤退した南部で六つの壕(ごう)に分散して伝令などを手伝います。軍は6月18日、突然「解散命令」を出し、敵の目前に放り出します▼数日で100余人が犠牲に。自身も、瀕死(ひんし)の重傷を負いました。「死ぬ時は一緒よ」と約束したのに。すまないと思い続けた日々。それが消えたのは1989年、平和祈念資料館が完成してから▼遺族が「あなた方が生きたから、娘も生きたことが証明された」と。島袋さんは語ります。「戦争は人災、人間がやること。人間がとめられる。いまが大事」。非戦と非核の思いは重なります。


見本紙 購読 ページの上にもどる
日本共産党 (c)日本共産党中央委員会 ご利用にあたって