2016年12月8日(木)
主張
「12・8」から75年
「平和」の叫び上げ続けてこそ
「帝国陸海軍は本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」―。1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したことを告げる、当時の戦争司令部、大本営陸海軍部の発表です。安倍晋三首相が今月末、日本の首相として初めて訪問を予定している場所でもあります。
それ以前の中国大陸や東南アジアでの戦争と合わせ、日本は15年にわたった侵略戦争で自国民とアジアの人々などに莫大(ばくだい)な被害を与えました。戦後日本はその反省から出発しました。誤りを繰り返さないため、平和の叫びを上げ続けることが重要です。
歴史に断罪された侵略
日本軍のハワイ攻撃は、同じ日に行われた当時イギリス領のマレー半島コタバルへの攻撃などとともに、31年に引き起こした「満州」(中国東北部)への侵略や37年の中国全土への拡大など、戦前の日本が続けてきた侵略戦争が行き詰まった結果です。ハワイ攻撃の直前まで行われた日米交渉の最大の焦点は中国からの撤兵問題であり、日中戦争とハワイ攻撃後のアジア・太平洋戦争を別の戦争とみることはできません。文字通り一続きの戦争であり、日本の侵略と植民地支配の責任は重大です。
15年にわたった戦争で、命を奪われた人だけでも、日本国民は310万人以上、アジアの諸国民は2000万人に上ります。国土の荒廃や、いまだに残る強制労働や日本軍「慰安婦」の深い傷痕など、日本の侵略戦争の被害は文字通り深刻なものがあります。
日本が45年に敗戦を認めて受け入れたアメリカ、イギリス、中国の3カ国による「ポツダム宣言」は、当時の日本の支配層が「日本国国民を欺瞞(ぎまん)し…世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめた」と批判し、軍国主義勢力の一掃、植民地・占領地の放棄、陸海軍の武装解除、戦争犯罪人の処罰、日本社会の民主化などを求めました。
これを受け、日本は武装解除などを行うとともに戦犯裁判を受け入れ、敗戦の翌46年に制定・公布した憲法で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを定めたのです。憲法に盛り込まれた主権在民や平和主義、基本的人権尊重の原則は、侵略戦争の反省そのものです。
日本が本格的に侵略戦争に踏み出す直前の22年に誕生した日本共産党は、野蛮な天皇制の専制支配のもと、非合法下での迫害や弾圧・投獄に屈することなく、文字通り命がけで、国民主権と反戦平和、人間解放と未来社会実現の旗を掲げ続けました。「ポツダム宣言」などで日本の侵略戦争が国際的に断罪され、日本国憲法に平和主義が書き込まれたのは、こうしたたたかいの反映でもあります。
再び「戦争する国」許さず
戦前の日本が破局への道を進んだ「12・8」から75年を迎える今日、見過ごすことができないのは安倍政権が憲法の平和主義を踏みにじる戦争法を強行し、再び「戦争する国」へ突き進んでいることです。戦争法強行に飽き足らず憲法を明文改悪し、「国防軍」の創設や海外での無制限な武力行使も可能にしようとしています。
安倍政権の「戦争する国」への企ては、侵略戦争を肯定・美化する歴史的逆行の政治と一体です。安倍政権の暴走を許さないことこそ、75年前の教訓を生かす道です。