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2016年8月6日(土)

きょうの潮流

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 「急にあたりの気配の異様なるを感じ、眼をやれば外の面に白光たちこめ…」。71年前のきょう、原爆詩人の峠三吉は爆心地から3キロほど離れた自宅の2階で被爆しました▼当時の日記に投下の瞬間が描かれています。「畑や家並みの其処(そこ)其処より音なく火焔閃(かえんひら)めき白煙の斜めに立昇るが瞬間眼に映りぬ」。街に出かける矢先だった三吉は、間一髪のところで助かりましたが、その後、原爆症に苦しみます▼介抱に走り回るなかで「終生忘れ得ず、忘るべからざる」光景が次々と。「半裸の火傷患者らその半ばは既に動かざる死屍(しし)と化す。…異臭あたりに満ち、糞尿床に流れ、家族の名を呼び助けを求むる声、水を欲する声、泣き叫ぶ声、起りては絶え絶えては重り起り…」▼体験や広島の様子を克明に記した日記は「にんげんをかえせ」から連なる『原爆詩集』につながりました。先日、その「被爆日記」と「随意日記」が日本共産党から広島市に寄託されました▼同市と市民団体「広島文学資料保全の会」は、三吉の日記を含む原爆文学資料をユネスコの「世界記憶遺産」に登録申請。核廃絶のために活用したいといいます▼日本共産党員だった峠三吉は36年の短い生涯をかけて原爆なき世界の実現を訴えました。彼の強い思いは原爆詩「その日はいつか」にも。「野望にみちたみにくい意志の威嚇により/また戦争へ追いこまれようとする民衆の/その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が/平和をのぞむ民族の怒りとなって/爆発する日が来る」


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