2016年7月29日(金)
主張
障害者殺傷事件
「いなくていい人」はいない
神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元施設職員の男性によって入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件が、深い悲しみと憤りを広げています。多くの人命を奪った戦後最悪の殺人事件そのものの残忍性に加え、大きな衝撃を与えているのは、容疑者の元職員が事件前から「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の言動を重ねていたとされることです。障害者の命と尊厳、存在をこれほどあからさまに否定する考えを、絶対に認めることはできません。
憎悪にもとづく異常犯罪
事件現場の施設前に設けられた献花台には障害者や関係者が次々訪れ、「胸が張り裂けそう」と悲しみを口にしています。障害者や家族、関係者の団体が我がことと感じ、「命の重さに思いを馳(は)せて」と相次いで声明を発表し、命の大切さを訴えていることに、この事件の特別の深刻さがあります。
今年2月まで同施設に勤務していた26歳の容疑者は「重度障害者は安楽死させたほうがいい」など障害者の命や人権を真っ向から否定する姿勢があったといいます。2月半ばには2度にわたり衆院議長公邸に「私は障害者を抹殺できる」などとして事件を予告する手紙を持参していました。ぞっとする内容の手紙です。
“障害者をなくすことが日本国と世界のため”、“障害者は不幸を作ることにしかならない”と障害者を社会の邪魔者扱いする差別と偏見、その存在すら認めない憎悪と敵意に満ちています。障害者をふくめあらゆる個人の権利と尊厳を保障する人権思想に根本から反する記述です。
障害のある人もない人も、相互に人格と個性、多様な生き方を認めて支え合い、学び合う社会の実現こそが、現代社会を形成する土台であることは明らかです。障害者であれ、健常者であれ「いなくなっていい人」はいません。障害者を「不要」とみなし「抹殺」を正当化する主張は、第2次世界大戦前、ヒトラー政権下のドイツで、障害者は「生きるに値しない」と「優生思想」を掲げ計画的に虐殺したナチスとあい通じるもので、到底許し難い危険な考えです。
容疑者は、障害者への偏見などの問題を指摘され、施設を退職しました。一度は福祉現場で働いた容疑者が、なぜこれほど障害者への憎悪を膨らませ凶行にいたったのか―。詳しい経過や行政などの対応については検証が待たれます。しかし、多くの福祉関係者が、事件をきっかけに不安と危惧を募らせているのは、障害者をはじめ社会的弱者や少数者などにたいする偏見や差別、排除の社会的風潮が強まる傾向のなかで起きたのではないか、ということです。他民族にたいし侮蔑的な言葉を投げつけるヘイトスピーチなどはその典型です。危険な風潮の台頭を許さない、国民的合意と取り組みが不可欠です。
共に生きる社会へさらに
格差や貧困を「努力が足りない」として自己責任にすりかえる、障害者施策などへの社会保障費を国の「お荷物」扱いする、高齢者と若者を分断し「世代間対立」をあおる―。こんな考え方が、誤った風潮を醸成する土壌になっていないか。一切の差別や敵意、偏見を許さないことが、障害者をはじめだれもが大切にされる社会をつくるための重要な課題です。